谷山浩子について | 若宮桂のブログ・空と海がぶつかる場所
11月5日。相曽晴日さんのライブを観る為に岩国市へ向かった話を先日書きました。

岩国驛を出、ライブの開場まで少々時間があったので、食事でもしようと驛周辺を歩きました。
すると、至るところに写真のようなポスターが貼ってありました。

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どこか涼しげな瞳で、ポスター越しにこちらを見つめるその女性。
懐かしいなぁ、谷山浩子さんか。

足を止めたら、ブワッと中高生の頃の記憶がよみがえってきました。


谷山浩子さんは、相曽晴日さんもデビューのきっかけを掴んだポピュラーソングコンテストに1974年出場。「お早ようございますの帽子屋さん」が入選し、翌1975年にデビューを果たしました。
それ以前にも、弱冠14歳から音楽活動をされていて、当時は天才少女と呼ばれていたようです。

1981年。中学入学と同時にもらったラジオが切っ掛けでラジオにハマり、流れてくる音楽が楽しくて仕方なかった。
はじめはなんでも聴いていたのが、やがてユーミン、寺尾聰、そしてオフコース、チャゲ&飛鳥といった、当時ニューミュージック、フォークソングなどと呼ばれていたジャンルが好みだということに気がつき、82年になるとそんなジャンルの音楽家さんを選んで聴くように変わっていきました。

自分が彼女のことを知ったのは、おそらくそんな1982年。憶えている限り最初に聴いたのは、その年に発売された「サーカス」。やはりラジオで、でした。
ちなみにこの年は相曽晴日さんのデビュー年で、はるひさんを自分が知った年でもあります。

この更に翌年発売された新曲の「たんぽぽ」がラジオから流れると、その世界観に共感。当時受験生で、彼女がDJをされてたラジオ、オールナイトニッポンも聞くようになり、その独特のセカイや、気さくな人柄も含め、だんだんハマっていきました。
この中高生頃、ラジオからエアチェックしてよく聴いていた、アルバム「たんぽぽサラダ」「水の中のライオン」「眠れない夜のために」「空飛ぶ日曜日」あたりの収録曲はとくに印象深く、憶えています。

しかし遂に音源は買わず、最初に買ったのは80年代後期、社会人になって中古レコードショップへ通うようになってから手にしたベストアルバム「谷山浩子」でした。

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2枚目の写真は「空飛ぶ日曜日の」アナログ盤。半透明な緑の盤がきれいです。CDには真似できないワザ。
これ等アルバムやいくつかの入手困難なシングル盤を苦労して中古で買い揃え、しかし高校生の頃ほどハマれず、どちらかというと女性なら同じポプコン出身の相曽晴日さんの方が好みでした。






今あらためて、谷山浩子を再生しています。
CDで持っている音源は、90年に偶然、聴かなくなっていたラジオで流れていて良い曲だと思った、「冷たい水の中をきみと歩いていく」など5枚。
好きな曲は?と自問してみると、「風になれ-緑のために-」「人形の家」「真夜中の太陽」「銀河通信」「地上の星座」「冷たい水の中をきみと歩いていく」と、次々にメロディーや詞が思い浮かびます。

そんな彼女に会ってみようと思ったのは2008年。
この前年頃から、CDやAD盤を持っている音楽家全員に会ってみたいという途方もない夢を抱き、その一環で彼女にも、と思っていました。
しかしその頃は金欠病。苦しい生活のなかからなんとか年に数度のライブ遠征費用を捻出するのがやっとで、チケット代が高かった浩子さんのライブは泣く泣く断念したのでした。

しかし今はそれも落ち着きました。もうあの頃とは違う。
このポスターを見たとき、これは彼女にも会っておけっていうサインなのかなって思いました。
奇遇なことに、このポスターを見る切っ掛けとなった相曽晴日さんは、彼女とも交流があり、浩子さんの曲にコーラスなどでも参加されているようです。

いよいよ明後日。谷山浩子さんの全国ツアー福岡公演、開演です。