☆ 黒部銚子山古墳



丹後国竹野郡
京都府京丹後市弥栄町黒部小字久我谷13
(P無し、駐車は下部写真参照)


■形状
前方後円墳
*2段築成
神明山古墳の1/2相似形とする説有り
■全長

105m

*周濠有り
■築造時期
古墳時代中期前葉(5世紀前半)
■埋葬施設
(未調査)
■出土品
埴輪片
■周辺の状況
「竹野川」右岸の丘陵端部
■被葬者
(不明)
丹後王国の国王級墓
丹波道主命の伝承有り




「竹野川」右岸の丘陵端部の丘尾を切断して築造された大型前方後円墳。丹後国内では4番目の規模。日本海側では6番目の規模。

残存状態は極めて良好。墳形は写真通りにくっきりと確認できます。周囲の田が周濠跡とのこと。


発掘調査はなされておらず、埋葬施設等は不明。早期の調査が望まれます。


築造時期は埴輪片から古墳時代中期前葉(5世紀前半)と推定。京丹後市は前期末~としていますが。


現在のところ丹後に於いては、最後の埴輪列と葺石を有する古墳であるとのこと。


古墳時代前期中葉以降では、蛭子山1号墳(与謝郡の加悦谷)網野銚子山古墳(竹野郡の網野町)神明山古墳(竹野郡の「竹野川」河口)に次ぐ首長級墓。
いわゆる「丹後王国」の国王級墓とみてよいかと思います。被葬者は丹波道主命の伝承があるようですが、可能性としては有り得るかと(「丹後王国」論では4代目国王とされる)

いずれも「潟湖」(ラグーン)に面していたとされます。当墳も室町時代頃までは海に面していたであろうとのこと。


かつては当地まで「潟湖」が迫っていました。


丹後国の古墳築造推移(画像はWikiより)


左端に小さく見える赤色の車が停め置いた場所。沿道が広くなっています。当墳への進入口は中央の白いフェンスより。





後円部の正面より。

後円部の南側より。

南側の括れ部が見えます。

南側の前方部より。

墳丘は美しく残っています。

無理すれば登拝できなくもなさそうですが、当日は気分的に憚られたので断念しました。



*誤字・脱字・誤記等無きよう努めますが、もし発見されました際はご指摘頂けますとさいわいです。