☆ 蛭子山古墳・作山古墳群


丹後国與謝郡
京都府与謝郡与謝野町字明石2341
(住所は「与謝野町立古墳公園」のもの)
(大規模駐車場有り)


【蛭子山古墳】
■形状
前方後円墳
■全長
全長145m(日本海第3位)
■築造時期
4世紀中頃
■埋葬施設
[第一主体] 舟形石棺直葬
[第二主体] 竪穴式石槨
[第三主体] 木槨直葬
■出土品
内行花文鏡、鉄刀、鉄剣、鉄槍、鉄鏃など
円筒埴輪、朝顔型埴輪、鶏形埴輪、家形埴輪
■周辺の状況
蛭子山古墳群の一
巨大方形貼石墓が築かれた「日吉ヶ丘遺跡」の近く、総数100基近くの墳墓有り
■被葬者
規模から鑑みて王墓級のもの


周辺には夥しい数の古墳が密集。
「与謝野町立古墳公園」として整備されています。

見学当日は公園は休館(コロナの影響か)。したがって古墳近くに立ち入ることすらできず、離れたところから指を咥えて眺めるだけ。

いずれまた見学することになろうかと思います。その際に当記事を改訂して再UPしたいと思います。

本来は墳丘に登るべきではないのかもしれませんが。

日本海第3位の規模の前方後円墳。
第1位は網野銚子山古墳、第2位は神明山古墳

いずれも丹後国のもの。わずか50年ほどの短期間に3基が築造されています。
周辺の古墳も含め、丹後国民が古墳築造に明け暮れていたのではないかと余計な心配も…。

蛭子山古墳群のすぐ近くには、弥生中期の巨大な方形貼石墓が2基。これは日本第2・3位の規模。

墳墓から読み解くのであれば、丹後国は「加悦谷」で幕を開け、いわゆる「丹後王国」へと発展し、「加悦谷」から「竹野郡」や「熊野郡」へ拠を移していったのではないかと考えられます。

被葬者は丹後国王の誰か…なのでしょうね。

もっと丹後国を探っていくと見えてくるのかもしれません。



写真は古墳公園の駐車場から少し拡大して撮っています。


「加悦谷」方面を。