金神社 (稲沢市西町)
(ごがねじんじゃ)


尾張国中島郡
愛知県稲沢市西町1-14-20
(境内に駐車可)

■祭神
物部金弓連公


尾張国の中心部、かつて尾張国府が置かれたという尾張大國霊神社(後ほど記事UPします)の西方に鎮座する社。東海道から尾張国府を経由し不破関へ繋がる「美濃路」は、当社の南方すぐを通っていました。
◎社頭案内によると、「尾張国徇行記」という書に、近くの禅源寺鎮守の「金宮大明神」を西町の産土神として奉斎したとあることを紹介しています。「国内神社帳元亀本」(1570年代)、「尾張国神名帳」(正徳六年・1716年)に記載があるとのことで、遡られるのはそこまでのようです。
◎ご祭神は物部金弓連公。「先代旧事本紀」には宇摩志麻治命の八世孫とある人物(神)。父は物部十千根命、母は時姫。時姫は初代丹後国王ともされる武諸隅命(由碁理)の娘。宝賀寿男氏(日本家系図学会会長・家系研究会会長)はこの金弓を、物部氏の第9代当主ではないかとみています。
◎金弓の事蹟等を記す文献は存在せず詳細は不明。社頭案内では第13代成務天皇の御代に活躍したと記しています。「先代旧事本紀」には「田井連、佐比連等の祖」とあります。
◎田井連については同書に、「十世孫物部目古連公は田井連等の祖」、また「十二世孫物部小事連公は田井連云々等の祖」ともあり混乱が窺えるようです。
「新撰姓氏録」には記載無し。「和名抄」に「河内国志紀郡に田井郷を収む 志紀村大字に田井存す」とあります。近くには物部氏の傍系とされる弓削氏が居住していました。丹比郡には田坐神社が鎮座し、田井氏が奉斎していたという説も。
◎佐比連については「新撰姓氏録」に佐為連として、「左京 神別 天神 佐為連 饒速日命六世孫伊香我色乎命之後也」とあります。
◎尾張国内で物部氏が拠点としたと想定されるのは愛智郡「物部郷」(現在の名古屋市東区から千種区辺り)。物部神社や武器庫であったとされる高牟神社が鎮座します(ともに未参拝)。ところが当社地とはかけ離れており関連は見出だせません。尾張氏の一大拠点に、その権威に取り付いた物部氏の一派も居住していたということでしょうか。
◎明治五年の修補棟札には「金宮大明神」と記され、明治八年の「中島郡社寺調」には「金神社」と記されているようです。社頭案内では神仏分離令により社名を改称したとみています。









境内社/向かって左は津島社、右は秋葉社


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