☆ 飛鳥京跡苑池




大和国高市郡

奈良県高市郡明日香村岡

(駐車場は閉鎖されています)




「飛鳥宮」の中心部より北西に造営されたという「苑池」。


南北およそ200mほどの庭園遺構。唐の影響を受けたもの。風水上、大極殿の北側に池等を設けるのを良しとするとのこと。「北池」と「南池」に分かれ、「渡り堤」で隔たれていました。「南池」には中島が築かれ石造物が設置されていました。


詳細は案内を写した下部写真にて。「飛鳥京跡苑池休憩舎」内に多くの資料が掲示されており、それらをもれなく写したもの。


「飛鳥京」「飛鳥宮」はいずれも記紀等文献に記される名称ではなく、また学術用語でもなく、いわゆる俗称。

「飛鳥京」は概ね、第19代允恭朝の「遠飛鳥宮(とおつあすかのみや)」に始まり、第41・42代天武・持統朝の「飛鳥浄御原宮」までの多くの宮を指します。

「飛鳥宮」は概ね、第34代舒明朝の「飛鳥岡本宮」、第35代皇極朝の「飛鳥板蓋宮」、第37代斉明朝の「後飛鳥岡本宮」、第41・42代天武・持統朝の「飛鳥浄御原宮」を指します。

*いずれも俗称であり、名称そのものを含めて異論はあります。


持統朝の「藤原京」以降は本格的な都城制に基づく都となりました。


「飛鳥宮跡」

「飛鳥宮跡」前殿跡等

「飛鳥宮跡」エビノコ郭



飛鳥宮跡に設けられた案内板。左上の隅に「飛鳥京跡苑池休憩舎」とある所の少し上(北側)に遺跡があります。



嫌がらせなのか駐車場は閉鎖。飛鳥宮跡に車を停めて15分ほど歩いて来ました。たまにはかつての都の中を歩くのも良いかと。


駐車場から飛鳥宮跡の中心部、「飛鳥の甘奈備山」と思われる「岡寺山」方面を。


*誤字・脱字・誤記等無きよう努めますが、もし発見されました際はご指摘頂けますとさいわいです。