大市神社 (津市岩田)


伊勢国安濃郡
三重県津市岩田6-24
(鳥居の少し東側より進入し境内に駐車可)

■延喜式神名帳
大市神社の論社

■旧社格
郷社

■祭神
大市比売命
[配祀] 祖母嶽神 罔象女神 建速須佐之男神 天照大御神 大名牟遅命 少彦名神 布都御魂神 事代主神 市杵島姫命 宇迦之御魂神 天水分神 大山祇命 菅原道真


「岩田川」右岸の河口近く、津市岩田に鎮座する社。東側すぐを「伊勢街道」が走り、かつては面していたものと思われます。
◎創建年代は不詳。古老伝によると、かつては現社地より乾(北西)の方角一里(約4km)余りの地に「大市村」と呼ばれていた「村主村」があり、「石田川」(現在の「岩田川」)河岸の松に「式内社 大市神社」が鎮座していたとのこと。
その後、洪水の際に流失したものの、「石田村」の古松に掛かったので里人がこれを引き上げて、「川松社」として鎮祭したようです。この神威が著明であったので、「石田村」の産土神として崇敬されました。そして度々の水害を免れたので、何時の頃よりか現社地へ遷座したとのこと。
◎「式内社 大市神社」について、もう一社が論社として挙げられており、そちらは津市妙法寺に鎮座する大市神社(未参拝)。「神名帳考証」「神社覈録」「神祇誌料」「勢陽雑記」等、軒並みにもう一社の方を宛てており、当社は分が悪いようです。
◎「大市」について「大日本地名辞書」は、「岩田は即ち古の安濃津にて泊舟は岩田江にかゝりしと思はる、大市と曰ふも此地貿易の所なりければ…」と、市であったことからの社名を示唆しています。
「安東郡専当沙汰文」というものに、「安乃津市」という市のあった事が記されているようです。
◎ところがこれとは別に、大市氏が奉斎していた社ではないかとするものも。大市氏は「新撰姓氏録」に、「左京 諸蕃 大市首 出自任那国人都怒我阿羅志止也」とある渡来系氏族。本貫地は大和国城上郡「大市郷」とされます。「大和志」は現在の桜井市「箸中」辺りとしています。他に大市造や大市連という同族もあるようです。
当地へ拠点を広げた経緯は不詳であるものの、「村主(すぐり)」という村名から渡来系氏族が住んでいたものと推されます。
◎明治の初めに伊奈利社を合祀。明治十五年に郷社に列格、明治四十年に近隣社を合祀したとのこと。
◎境内社 伊奈利社のご祭神は宇迦之御魂神の他、伊邪那岐命・市杵島姫命・大山祇命。明治元年に津藩主 藤堂高猷公が奥羽征討を拝命した際、神官に祈祷をさせたところ、神官の夢に稲穂と鏡を持った美麗の神人が現れてそれを授けると。目が覚めると正しく神があり、高猷公は奥羽鎮静後に社殿を設けて手厚く祀ったと伝わります。


この向かって右手より境内へ車の進入可。


ご本殿

こちらが境内社 伊奈利社



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