(氣比神宮の境内社 角鹿神社)



■表記
都奴我阿羅斯等、都怒賀阿羅斯等など。
出身地である意富加羅国(おおからのくに)では于斯岐阿利叱智干岐(ウシキアリシチカンキ)。
アメノヒボコ神と同神とするなら、紀では天日槍、記では天之日矛。「古語拾遺」では天日鉾。


■概要
意富加羅国(朝鮮半島南端)からの渡来神。紀のみに記され、記では類似の話が天日槍神のものとして記されます。したがって同神ではないかと考えられています。ただし天日槍神は新羅国の王子。出身国の違いからやはり別神であるとするのか意見が分かれるところ。
◎書紀 垂仁天皇の条には、「額に角の生えた意富加羅国(おおからのくに)の王子 都怒賀阿羅斯等(ツヌガアラシト)またの名 于斯岐阿利叱智干岐(ウシキアリシチカンキ)が、穴門、出雲を経て笥飯(けひ)の浦に到着し角鹿(つぬが)と名付けた」とあります。
◎書紀 垂仁天皇の条(別伝)
(村人として描かれている)役人に農耕に使っていた牛を奪われる。取り返しに役人の家に向かったが、家の前で出会ったとある老人に殺して食べられたであろうと告げられ、代わりに村で祀る「白い石」を貰い受けるように勧められる。その通りに「白い石」を貰い寝床に置いていると、美麗な童女となった。そして東の方へ飛んで行った。阿羅斯等は追いかけ難波へ。童女は比賣語曾社の神となった。また豊前国の比賣語曾社の神ともなり、二箇所で祀られる。
◎古事記 応神天皇記の記述。
天之日鉾という新羅国王子が渡来して来た。新羅国の「阿具奴摩(あぐぬま)」の縁である女が昼寝をしていたが、太陽の光が女陰を指した。夫は怪しんで様子を伺っていたところ女は身籠り「赤玉」を生んだ。夫はその「赤玉」を貰い腰に着けていた。それを国王天之日鉾が没収し床に置いていると、美麗しい少女となった。そして妻とし一緒に住んでいたが、だんだんと罵るようになる。妻は「実家へ出戻りする」といって難波に。この妻(女神)は比売碁曽社に鎮まる赤留比売である。天之日鉾はそれを知り追いかけるが、海神が遮った。仕方なく多遅摩(但馬)へ向かった。
◎あまりに類似した内容。「白石」と「赤玉」の違いはありますが。これらの記述だけをみると、都怒賀阿羅斯等と天日槍命は同神と考えざるを得ません。
また古代朝鮮語の「角干(新羅国の最高官位)」を「ツヌガ」と訓読みし、「閼智(アルチ、新羅国の日の御子)」を合わせたものが「ツヌガアラシト」であるとする解釈もあるようです。


■系譜
後裔氏族として「新撰姓氏録」には三氏が挙げられています。
左京諸藩の「大市首」と「清水首」、大和国諸藩の「辟田首」。いずれも任那国人(国主)の都奴加阿羅志等(都怒賀阿羅斯止、都怒何阿羅志止)の後裔として。


■祀られる神社(参拝済み社のみ)
氣比神宮(境内摂社 角鹿神社)

※関連社(参拝済み社のみ)
比売碁曽神社(摂津国)
赤留比売神社

※アメノヒボコ神にまつわる神社は、こちらの記事にて。