加良比乃神社



伊勢国安濃郡

三重県津市藤方森目335

(「藤方会館」に4台まで駐車可)


■延喜式神名帳

加良比乃神社の比定社


■旧社格

村社


■祭神

御倉板挙神(ミクラタナノカミ)

伊豆能売神 天照皇大御神 大山祇神 大物主大神 水波能売神 宇迦之御魂神 建速須佐之男命

[配祀] 正勝吾勝勝速日天之忍穂耳尊 天之穂日命 天津日子根命 活津日子根命 熊野久須毘命 多紀理毘売命 市杵島姫命 多岐都比売命 天児屋根命 応神天皇



「伊勢街道」に面した集落、「藤方森目」の奥地に鎮座する社。元伊勢「藤方片樋宮」の候補地の一つ。

◎社伝によると、倭姫命が天照大神を奉戴し当地に廻歴、四年後に他所に遷座した宮跡地に御倉板挙神と伊豆能売神の二座を祀り、加良比乃神社と称したとしています。

◎倭姫命が神殿を建築した時に、宮中の水利が不便であることから樋を以て通したが故に、「片樋宮」と称したとのこと。

また社名「加良比」は「片樋」転訛したものだとされます。当社の片側が急な斜面になっているため、樋を用いて泉の水を引いたことに由来するとのこと。

◎「倭姫命世記」によると、「藤方片樋宮」について以下のように記しています。

━━阿佐加之弥子(阿坂の峰)に坐す伊豆速布留神(イツハヤフルノカミ)が通行人の命を奪うので、朝廷に大若子命(オオワクゴノミコト)を進上しその神の事を伝えると、「種々の大手津物(おおたなつもの)を供進し、心を和やかに鎮めて奉るように」との詔。そして大若子を遣わし伝えた。そこで阿佐加の山峰に社を作り定めて詔の通りにすると、神は「嬉し」と詔したので、そこを名付けて「宇礼志」という━━(大意)

◎また同書の一書には以下が記されます。
━━天照太神は美濃国より巡って、安濃の「藤方片樋宮」に至って坐す時に「安佐賀山」に荒神がいて通行人を殺めていた。これにより倭姫命は度会郡宇遅村の「五十鈴川上の宮」に向かわず、「藤方片樋宮」にて奉斎した。倭姫命は安佐賀の荒悪神の行いを中臣大鹿嶋命・伊勢大若子命・忌部玉櫛命を遣して天皇に奏聞した。天皇は「その国は大若子命の祖 天日別命の平げた山である。大若子命はその神を祀り、倭姫命を五十鈴宮に入り奉るように。そして種々の幣を賜り大若子命を返遣し、その神を祀らせよう」と詔した。荒悪神は穏やかになり、安佐駕に社を定めて祀った。しばらくして倭姫命はやって来たが、渡物は敢えて返取しなかった━━
◎「阿射加山(阿佐加山、安佐賀山)」は当社より南南西10kmほどの「枡形山」(標高312.6m)元伊勢「藤方片樋宮」の候補地に上げられているのは他に、東麓の大阿坂町の阿射加神社、小阿坂町の阿射加神社。

「阿射加山」から少々離れているのが気になる所ではあるものの、安濃郡は当社の南側を流れる「相川」より北側。二つの阿射加神社はともに安濃郡ではなく、壹志郡に属しています。

◎「式内社 加良比乃神社」については他に候補社が挙げられておらず、当社が妥当といったところでしょうか。

◎「神名帳」に於いてご祭神は一座。元伊勢「藤方片樋宮」を当社地とするなら、御倉板挙神(ミクラタナノカミ)ではないかと思われます。

◎御倉板挙神は記に一箇所のみ登場。

━━伊邪那岐命が黄泉国から帰還し、禊祓を行った際に最後に生まれた三貴子を大層喜んだ。そして御頸珠の玉の緒をゆらゆらと揺り鳴らして天照大御神に授け、「汝は高天原を治めなさい」と事依させた。故にその御頸珠の名を御倉板挙之神と謂う━━(大意)

御倉板挙神は一般に、神聖な倉の棚の上に安置する神(珠)の意と解されます。本居宣長は「古事記伝」に於いて、「御祖神の賜ひし重き御宝として天照大神の御倉に蔵め、その棚の上に安置奉りて崇き祭りたまひし名なるべし」とし、「板拳(たな)」を、「板を高く架挙て物置く所に構ふる故に如此書けるならむ」としています。

◎おそらくは三種神器の「八坂瓊勾玉」ではなく、高天原にて安置されている珠ということになろうかと思います。この神が当社にて祀られる由縁は不明。御倉板挙神という珠を以て「阿佐加山」の荒悪神を鎮めたということなのでしょうか。

◎想像を逞しくするのであれば、社伝によるもう一柱の伊豆能売神が、巫女として御倉板挙神(珠)を以て鎮めたとも。伊豆能売神についても記述が乏しく、また主祭神として祀られる社も少ないため、その神格はさまざまに解釈されます。巫女とする考えも有り。




津市観光協会サイトには「藤方会館」に4台まで駐車可能と掲載されています。

「伊勢街道」に面して石碑が立てられています。

一の鳥居は「伊勢街道」から200m足らず。




「片樋宮」の石碑



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