☆ 西陵古墳
(さいりょうこふん)
和泉国日根郡
大阪府泉南郡岬町淡輪
(ウェルシア岬淡輪店から農地を隔てて北西方向に広がる)
(P無し、周辺停め置き不可)
■形状
前方後円墳
*造出有り
■全長
210m
*周濠有り
■築造時期
5世紀前半頃
■埋葬施設
(不明) *詳細は下部にて
■出土品
円筒・朝顔形・蓋形・盾形・短甲形・家形等埴輪
■周辺の状況
(下部にて)
■被葬者
(下部にて)
全長210mの巨大前方後円墳。全国第28位。
和泉国(大阪府)の最南西端、和泉山脈を隔てて紀伊国と接する地「淡輪(たんのわ)」。丘陵裾の平地、海岸からはおよそ700~800mほどに築かれています。
北東わずか500mほどに淡輪ニサンザイ古墳(宇度墓、五十瓊敷入彦命の治定墓)が築かれています。またその間にはかつて西小山古墳(帆立貝式古墳、消滅)があったとのこと。当古墳を含めた3基等で「淡輪古墳群」と称されます。3基の中では当古墳が先行して築かれたようです。5世紀前半頃。
埋葬施設は不明ながらも、竪穴式石室で凝灰岩製の長持型石棺が収められていたと推測。長側辺に縄掛突起2個を有する石棺蓋石が露出していたが、国史指定のため埋戻したとのこと。
以上のようにおそらくは紀氏(紀朝臣系)の墳墓、或いは関連氏族、つまり大伴氏や紀氏(紀伊国造家)の墳墓ということになるのでしょうか。
ただし紀小弓が葬られる際に妻に対して、大伴室屋から紀氏と大伴氏の本拠地が隣り合っていることから(紀伊国)、当地を薦めています。
ちなみに大伴氏と紀伊国造家は同族。紀朝臣系は祖神である武内宿禰の母方が紀伊国造家。
なお石棺材は紀氏系のものとするなら、「阿蘇溶結凝灰岩」の一種、「阿蘇ピンク石」製の石棺の可能性があると考えます。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240523/04/keith4862/3c/c3/j/o1080081015442198654.jpg?caw=800)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240523/04/keith4862/26/e1/j/o1080081015442198657.jpg?caw=800)
巨大であるため、全景を写すのは困難。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240523/04/keith4862/67/84/j/o1080081015442198659.jpg?caw=800)
前方部の北西角より墳丘へのアプローチがあり、登拝可。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240523/04/keith4862/65/96/j/o1080081015442198663.jpg?caw=800)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240523/04/keith4862/84/ea/j/o1080081015442198665.jpg?caw=800)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240523/04/keith4862/19/8a/j/o1080081015442198666.jpg?caw=800)
前方部、後円部への分岐。後円部に進みます。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240523/04/keith4862/7d/c5/j/o1080081015442198669.jpg?caw=800)
後円部裾に到着。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240523/04/keith4862/86/d3/j/o1080081015442198672.jpg?caw=800)
葺石が散在。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240523/04/keith4862/da/34/j/o1080081015442198673.jpg?caw=800)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240523/04/keith4862/e0/87/j/o1080081015442198674.jpg?caw=800)
墳丘頂へは進入不可。小さな立て看板が墳丘頂と思われます。