[大和国城上郡] 久延毘古神社



■表記
記 … 久延毘古(クエビコ)
「先代旧事本紀」地祗本紀 … 久延彦
*記には別に「山田之曾富騰(ヤマダノソホド)
*能登国には久延毘古神を祀る久弖比古神社が鎮座


■概要
大国主神の国作り神話に登場する神。
◎出雲の美保岬にガガイモに乗った謎の神が現れ、大国主神らは驚きヒキガエルの多彌具久(タニグク)に尋ねると、「久延毘古ならきっと知っている」と。今度は久延毘古に尋ねると神産霊神の御子、小名毘古那(少彦名命)だと記されます。

◎またそのすぐ後には、「久延毘古は、今は山田之曾富騰(ヤマダノソホド)であり、此の神は足で歩けないが、天下のあらゆる事を知り尽くしている神である」と記されます。つまり記の編纂時には「山田之曾富騰」と称される神であったということに。

「山田」は字句の通り、「曾富騰(ソホド)」は「案山子(かかし)」の古語。平安末期の「奥義抄」(藤原清輔)
という書には、「そほづとは田におどろかしに立てたる人かたなり」とあるようです。

大神神社には摂社として久延毘古神社が鎮座します。こちらは「大三輪神三社鎮座次第」に曽富止神社(そほどじんじゃ)と記される古社。大神神社で祀られる大物主櫛甕玉命は、公式には大国主命のこととされます。大国主命所縁の神が鎮まっています。

◎久延毘古の「クエ」は、崩れるという意の「クユ」の連用形とされます。「万葉集」巻四-六八七に、「愛しと 我が思ふ心 早川の 塞きに塞くとも なほや崩えなむ(くえなむ)」とあります。

◎一方「曽富止(曾富謄)」という言葉、語源は「雨に濡れそぼつ」。風雨にさらされ片足となり、「身体の朽ち果てた男性」ということ。いわゆる「異形の人」。

「曽富止(曾富謄)」は知恵者の化身でもあると信仰されたようです。これは当時、不具者が知恵の優れた者と信じられていたことによるものと考えられます。

古代踏鞴製鉄の従事者が天目一箇神(アメノマヒトツノカミ)を奉斎し、またその職業病のため片目或いは片足となってしまった者が、神とみなされたことに通ずるものと思います。「曽富止(曾富謄)」も古代踏鞴製鉄の従事者から端を発した可能性もあると考えます。


◎さらに小名毘古那(少彦名命)の正体を知っていることから、その眷属神とする説もあるようです。この神も古代踏鞴製鉄と関連する神とも考えられます。


◎「案山子(かかし)」は「田の神の依り代」と考えられ、またそのように祀る民俗例も存在します。山の神の権現ともされました。


田や畑などに立てられ、作物を荒らす鳥獣害を追い払うもの。これは「案山子」が鳥獣害の有する悪霊を祓うものとして考えられていたことによるものとされます。


「案山子」には多様な形が見られますが、原始は人形の形をしたものと思われます。またいつの頃からか簑や笠を纏うものとなります。これは神や異人など、他界からの来訪者であることを示しているという可能性も。


獣肉や魚の頭などを焼き焦がし、串に通し地に立てたものも「案山子」と呼ばれます(「語源辞典」より)。これはいわゆる「異形の人」を見立てたものではないかと考えます。


◎江戸時代の国学者 平田篤胤が好んだことでも有名。久延毘古画を傍らに掛け置き勉学に励んだとか。また明治元年開講の皇学所にも学びの神として祀られたようです。

◎この神を祀る社は現在では、当社を含めて全国に2例しか確認されていません。もちろん田や畑などの中には、今もなお鳥獣害を追い払う役目を担う神として立てられていますが。



■祀られる神社(参拝済み社のみ)
[大和国城上郡] 久延毘古神社(大神神社摂社)


案山子 *画像はWikiより


*誤字・脱字・誤記等無きよう努めますが、もし発見されました際はご指摘頂けますとさいわいです。