◆ 火吹く人たちの神 ~15






今回は「多氏」が登場します。

非常に厄介な氏族。
日本最初の「皇別氏族」であり、日本古代に多大な影響を与えた氏族。「古事記」編纂の大任を務めた太安万侶は後裔。

なのですが…

いかんせん出自を含めてベールに包まれており、多くの研究者たちを悩ませてきました。

「多氏」に触れる時は慎重にならざるを得ませんが、あくまでも現在の主題は「伊福部氏」、多少気軽に触れていこうと思います。




第一部 青銅の神々
第一章 銅を吹く人


■ 蛇神=雷神の暗示━━多氏と伊福部氏の密接な関係

冒頭に記したように「多氏」が登場。ここではあまり深くなりすぎない程度に記事を進めていきます。



◎「常陸国風土記」の「晡時臥山(くれふしやま)

那賀郡の条に以下のような記述があります(大意にて)

━━「茨城里」の北に「晡時臥山(くれふしやま)」がある。古老伝として、努賀毗古(ヌカビコ)と努賀毗咩(ヌカヒメ)という兄妹がいて、室にいた妹の元へ毎夜夜這いにくる男がいた。遂に懐妊し子を生むが、小さな蛇であった。小蛇は成長し、もう養いきれないので父のもとへ帰るよう促す。すると小蛇は小童を一人つけて欲しいと言う。妹は断ると、兄を雷擊して殺し空に上った。妹が土器を投げつけると蛇は天に上れず、「晡時臥山」に留まった━━

「蛇神」=「雷神」とはっきり記されています。この兄妹の子孫が、風土記に今も祀ると記されているのが式内論社 藤内神社。現在は経津主命を祀っているとされますが、原初は蝮蛇(まむしへび)霊を祀り、立野社(たつののやしろ)と称されていたとのこと。

常陸国に鎮座する藤内神社
*画像はWikiより



◎「多氏」との関連

この藤内神社の鎮座地は現在の水戸市藤井町。かつては「飯富村(いいとみむら)」であったのが、水戸市に併合されています。
「飯富」は「大部(おおべ)」と称されていたこともあり、「多氏」が居住したと推定可。千葉県木更津市には「飯富(おお)」という地があり、「多氏」の居住地だったようです。

前回の記事に登場し「雷神」の説話がある、常陸国茨城郡の「夷針郷」。こちらには「金指」があるとのこと。「多氏」と同族である「金指氏(金刺氏)」が、かつて「伊福部氏」と密接な関係があったのではないかと推測しています。

「金指氏(金刺氏)」は、科野国(しなぬのくに、=信濃国)の初代国造を務めた武五百建命(健磐龍命と同神か)の後裔。多氏と同族。

「多氏」の総氏神、大和国十市郡に鎮座する多坐弥志理都比古神社



◎「日本霊異記」の記述

━━敏達天皇の時、尾張国阿有知郡(あゆちのこほり、愛知郡)片蕝里(かたわのさと)の農夫が、田植え中に小雨が降ってきたので木の本で雨宿りし金の杖を立っていた。その時、雷がその農夫の前に落ち、小子(ちいさこ)と成って従い伏した。農夫は小子に成った雷を金の杖で突こうとすると、もし助けてくれたら子供を授かるようにしようと言って天に上った。そうして生まれた子供は、頭に二めぐりの蛇を纏っていた。その子は大変な力持ちで鬼退治をした━━

「雷」=「蛇」=「伊福部氏」(鍛冶集団)に、さらに
この「小子(ちいさこ)」から、「多氏」と同族とされる「小子部(チイサコベ、子部)」を繋げようと試みています。





今回はここまで。

次回はその「小子部(チイサコベ)」について…
という内容となります。



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