「二上山」東側麓に築かれた鳥谷口古墳
(真の大津皇子の墓とされる)






◆ 「真の持統女帝」顕彰
~反骨と苦悩の生涯~ (20)






最近は漢文・古文の現代語訳を 行う記事が多く、慣れてきたとはいえ時間のかかるもの。

漢和辞典、古語辞典等、ネット上のさまざまなアイテムを駆使しつつ訳しているため。

毎日記事を上げるのが難しくなっています。1日3本以上の記事を上げてた時代が懐かしいな…精力的に神社を参拝しつつ…

今はその体力も気力も時間もありません。
代わりに記事の中身を濃くしようと思っています。



■ 大津皇子の事件 2

前回の記事では、大津皇子の事件に関する「日本書紀」の記述をすべて抽出しました。「古事記」は推古天皇までの記事ですから、もちろん記載はありません。

今回はその他文献に著される、事件に関わらず大津皇子が取り上げられた記述を挙げていきます。


「懐風藻」 国立国会図書館 デジタルアーカイブより



◎「懐風藻」(淡海三船)

あまりに有名な書で、これを覚えておけば大学入試 日本史で点を取れるというもの。出題確率ナンバーワン?

当ブログでは1~2行程度のものを除き、初めての引用となります。
本書そのものよりも、淡海三船が天皇の「漢風諡号」を撰進したことが有名でしょうか。つまり神武…綏靖…安寧…懿徳~持統天皇までの天皇名はこの人によるもの。

ま…「懐風藻」の編纂者は正確には分かっておらず、淡海三船が最有力ということなのですが。

「天平勝宝三年冬十一月」(751年)と序文にあります。現存する最古の漢詩集。

大津皇子に関するそこそこの記述があるため、たびたび引用されています。



【読み下し文】
大津皇子四首

皇子は浄御原帝の長子也 狀貌魁梧 器宇峻遠 幼年にして學を好み 博覧にして而して能く文を屬す 壯なるに及びて武を愛し 多力にて而して能く劔を撃つ 性頗る放蕩にして法度に拘らず 節を降ろして士を禮す 是に由て人多く附託す 時に新羅の僧行心と云ふもの有り 天文卜筮を解す 皇子に詔げて曰く 太子の骨法是人臣の相にあらず 此を以て久しく下位に在るは 恐くは身を全うせず因りて逆謀を進むに 此註誤に迷ひて遂に不軌を圖る 嗚呼情けを哉 彼の良才を藴て忠孝を以て身を保たず  此姧豎に近くて卒に戮辱を以て自らを終ふ 古人の交遊を慎むの意 因りて深き哉 時に年二十四
 五言 春ノ苑言に宴一首
襟を開きて靈沼に臨み 目を遊ばしめて金苑に歩す 澄淸苔水深く腌瞹たり霞峯遠し 驚波絃と共に響き 哢鳥風と與に聞く 羣公倒に載せて歸る 彭澤の宴誰か諭せし
 五言 狩猟一首
朝に三能の士を擇ひ 暮れに万騎の筵を開く 臠を俱に豁たり矣 盞を●て共に陶然たり 月弓谷裏に輝き 雲旌嶺前に張る 曦光己に山に隱るも 壯士且く留連す
 七言 志を述ぶ
天紙風筆雲鶴を書き 山機霜杼で葉錦を織る
 後人聨る句
赤雀書を含みて 時に至らず 潜龍用るを 忽ち安く寢せ未たに
 五言 臨終一絶
金烏西舎に臨み 鼓聲短命を催す 泉路賔主無し 此夕家を離れて向ふ


【大意】
大津皇子四首

大津皇子は浄御原帝(天武天皇)の長子です。体格も器も大きく、幼い頃から勉学を好み文才もありました。大人になると武道を愛し、強い力で剣を降りおろすように。自由奔放な性格で細かいルールにも縛られないが、礼儀はわきまえていました。だから多くの人から頼られていました。ある時、新羅の僧行心という「天文卜筮(ぼくぜい、占の一)」をする者がいて、皇子に告げました。「太子(大津皇子)は人臣の相ではない(上に立つ人だ)。長らく下位にいると人生を全うできない、だから逆謀(謀叛)を勧めます」と。皇子はこの「註誤」に迷って、遂に常軌を逸しました。ああ、何ということだろう!彼のあまりの良才は、忠孝という枠組みでは保てなかったのです。この「姧豎(かだましのしとべ、かんじゅ)(賎しく嘘つき者)に近づき、にわかに戮辱され自身を終えてしまいました。古人が交遊を慎むというのは深い意味があるものです。時に歳二十四。

 五言 春の苑言に宴一首
(五文字で春の苑の宴に詠む一首)

襟を開いて霊沼(御苑の池)に臨み、目で楽しみつつ金苑を歩きます。清く澄んで苔水は深く、黒々と霞む峯は遠い。波立つ音が絃と共に響き、鳥のさえずりが風とともに聞こえます。酔うて倒れた諸公を背負い帰らねばならない。彭澤の宴の趣を誰が諭せようか。

 五言 狩猟一首

朝には三能の士(文芸に秀でた者)を選び、暮れには万騎(武芸に秀でた者)と宴を開きます。肉を共に食らい気は大きくなり、盃を傾けて共に陶然としたり。三日月は谷裏に輝き、たくさんの旗が嶺前に幟ります。日の光は既に山に隠れましたが、男たちはまだしばらくここにいて余韻に浸ります。

 七言 志を述べる

天の紙に風の筆で雲間を舞う鶴を描き、山の機織機で霜の杼(ひ、機織の器具の一)を使い葉錦を織ります。
 後人が付け足した句
朱雀が書を咥えてやって来るというような瑞兆は今のところありません。潜龍(大津皇子)が安らかに寝られる日はまだ来ません。

 五言 臨終一絶

金烏(太陽)が西の舎(建物)に臨み(夕方となり)、鼓の音(鐘の音)は短命を促します。黄泉に主従などは無いことですし、今夕、家を離れて向かおう。


【補足】
本文は容易く解読できましたが、「漢詩」は難しい…。漢字辞典、古語辞典、その他諸々(いずれもネット)を駆使しまくり何とか現代語訳をやり遂げました。自身の評価は◎。おそらく専門家が訳されたものと遜色ないかと思います。

◎「漢詩」については大津皇子が本人が詠んだ歌ではなく、後世の者が仮託したという説もあるようです。
歌の内容や雰囲気から、最後の歌以外は本人が詠んだのではないかという感じがします。後世の者が仮託して詠まねばならないほどの内容のある歌でもないので。

◎「天の紙」
「紙」と「神」は当時の発音も語源もまったく異なるもの。
「紙」は非常に高価、希少なもので神聖視されていたと思われます。また白い物には浄化する力があると考えられていました。幣(しで、ぬさ)等を鑑みれば解せるかと思います。原初は麻製でしたが。「紙」と「神」は別物ですが、案外通じるものがあったように思います。
したがって「紙」には「天の」という飾り詞がしばしば付されます。

◎「七言 志を述ぶ」
皇子の歌はどうにも中途半端。裏の意味も見出だせません。「志を述ぶ」などと大仰なことを宣言しておきながら…。後人が付け足したのも理解できます。本来は続きがあったのでしょうか。

淡海三船「有職故実」より *画像はWikiより



◎「懐風藻」の記述に対しての私見

先ずは気付いたことを羅列しておきます。

*「日本書紀」と「懐風藻」との記述の違い
成立年代の差は、わずか40年ほど「懐風藻」の方が後。両書間で記述の違いが少々見られます。一般的には両方を合わせ補完し合うような格好で、大津皇子という人物像が想定されています。

ところが生粋のあまのじゃくさんは、これを疑ってかかりたい!
つまり片方、または双方が意図的に人物像を歪めているのではないかと。以下、それを念頭に羅列します。

*天武天皇の長子?
紀には大津皇子が第3子と記されます。そちらを正しいとするなら、うっかり間違った?
いやいやいや~そんなことはないでしょう!

大津皇子は皇后になるはずだった大田皇女の子。ところが皇子5歳の時に崩御。皇子は本来は皇太子となるべくはずだったために「長子」と記したものと解釈します。

とすると…淡海三船という人物は、事実をねじ曲げてでもこういうことを書く人?そう捉えてみたくもなります。

*大津皇子は博学だったのか?
確かにそのように書かれてはいますが…あまりにあっさりとし過ぎ。
例えば同書内の大友皇子などと比較すると、あっさりと一言で片付けた感があります。

*武道に重きを?
大人になると武道を愛したとあります。これは紀には見られない記述。
また「自由奔放な性格で細かいルールにも縛られない…」といった記述、さらに漢詩の内容からみても、どうやら皇子はさほど文化系に強くはなかった?

一方、紀では文化人としての才をつらつらと記しています。これは紀が敢えて聖人化させようとして記した可能性を考えます。

*大津皇子事件の真の犯人(黒幕)
通説では「真の犯人(黒幕)」が鸕野讚良(後の持統天皇)であるとされています。当企画物記事の焦点の一つはこれですが、まだこの時点ではその結論を急ぎません。

紀では黒幕などは記されず、大津皇子自身によるものであるが如く記されています。
皇子が周囲を「註誤」して(=欺いて)計画したから、加担者30人は赦免されています。ただし但礪杵道作(トキノミチツクリ)は伊豆に配流と。行心は「皇子に与したが、朕は罪を課すつもりはない。飛騨国の寺にやれ」となっています。

「懐風藻」の方は行心こそが真の犯人であるが如く記されます。
皇子が「姧豎(かだましのしとべ、かんじゅ)(賎しく嘘つき者)に近づき、にわかに戮辱されたとまで。

さて…私見を。
「懐風藻」の記述はあり得ない!

もし本当にそうだとしたら行心は死刑となっているはず。配流程度、しかも「罪を課さない」で済んでいてその通りになっていることを考えれば、「懐風藻」の記述は誤りである…となります。

淡海三船が潤色したのか、或いはわずか30年の間にそのように捉えられるようになったのか?もちろん紀の成立が大津皇子事件後、既に34年を経過、併せて65年が過ぎているのですが。



少なくとも「懐風藻」の記述は「誤り」であることが判りました。




今回はここまでにします。

「大津皇子事件の謎解き」は次回に持ち越しと致します。

次回記事は明日に上げます。



*誤字・脱字・誤記等無きよう努めますが、もし発見されました際はご指摘頂けますとさいわいです。