☆ 武烈天皇 大塚陵墓参考地 (新山古墳)
(しんやまこふん)



大和国廣瀬郡
奈良県北葛城郡広陵町みささぎ台13-7
(遥拝の短時間なら公園入口前に停め置きできると思います)



第25代武烈天皇の陵墓参考地。治定墓は北西5~6mほどにある、香芝市今泉の傍丘磐坏北丘陵

全長126mの前方後方墳。
埋葬施設は竪穴式石室で組合式石棺。

副葬品は銅鏡34面(三角縁神獣鏡9面・直弧文鏡)、三葉文を透彫した帯金具

「山陵志」(蒲生君平)は、新山古墳(当墳)を武烈天皇陵(傍丘磐坏丘北陵)に、陵西陵墓参考地を顕宗天皇(傍丘磐坏丘南陵)に比定しています(位置関係は下部地図写真参照)。そのように記載している古地図も存在するようです。

推定築造年代は4世紀前半。武烈天皇の時世(498~506年)とはかなりの開きがあります。

一方の治定墓である香芝市今泉の傍丘磐坏北丘陵は自然山であり、古墳らしき形跡はまったく見られないとのこと。一体、真の武烈天皇陵はどこなのでしょうか。

武烈天皇には非実在説もあります。次代の継体天皇を正当化させるために、雄略天皇を別に表現し、極悪非道な天皇を捏造したものであるというもの。

126mを誇る巨大な古墳。大王またはそれに匹敵するほどの首長級の墳墓と思われます。葛木(葛城)国造が眠るのでしょうか。

名の知れたところでは、
宮戸彦宿禰(景行朝)や荒田彦宿禰(成務朝)といったあたりかと。荒田彦宿禰の孫が葛城襲津彦



北東側から撮影。



北側中央から西側を。




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