三之宮神社 (枚方市穂谷)


河内国交野郡
大阪府枚方市穂谷2-6-12
(P有)

■旧社格
郷社

■祭神
素盞雄大神
御食津大神
大國主大神
天津神
住吉大神
仁徳天皇


枚方市南東部郊外の自然に溢れた丘陵地、枚方市「穂谷」に鎮座する社。社横の谷地には「交野ヶ原」を源流とする「穂谷川」が流れています。
◎社伝によると、神功皇后が新羅征討の際に当地を訪れたが、山谷が険しく難路だったため天神地祇に祈願すると、神が顕れ「難所故各所ニ物ヲ置キ奉ラント告ゲ給フ」と神託があり、行く先々に白幣を竹筒に挟んで道標としたとされ、そして「皇后ニ軍謀秘策ヲ告ゲ給フ」とあったと。皇后は凱旋後に幣帛を供進したと伝わります。これが創祀譚。
◎南方1kmほどの山中には朱智神社が鎮座。山城国綴喜郡の西端であり、当社地の河内国交野郡とは隣接。こちらは神功皇后の祖父である加爾米雷王を祀る社。曾祖父で息長氏の祖とされるのは山代筒城真稚王であり、この辺りの出身であろうと思われます。「山代筒城」とは「山城(山背)綴喜」のこと。当社が古代には息長氏が奉斎していたことが考えられ、神功皇后の創祀譚が生まれた可能性も。
◎「三宮略記」によると創建譚は、仁徳天皇二十九年に額田大中彦皇子に命じたものとされています。これは北西7~8kmほどの平坦地に鎮座する二ノ宮神社も同じ。何らかの関連があるのかもしれません。仁徳天皇は神功皇后の孫にあたります。ところが「津田史」には和同三年(710年)に社殿創建とあるようです。

◎古くは「穂谷」「津田」「芝」「杉」「藤坂」の五ヶ郷の鎮守社であったとされます。

天平勝宝二年(750年)には孝謙天皇より「息筒大明神」の神号を授かったとあります。「息筒」とは息長氏の「息」と住吉神の「筒」ということなのでしょうか。

また仁寿二年(851年)には惟喬親王が遣わされ、正三位の宣下があったとのこと。中世には楠木正成の下で戦功を挙げ当地を治めたという中原氏が篤く奉斎し、たびたび再建を行っていたようです。

◎慶長年間(1596~1615年)には豊臣秀頼が大坂城鬼門鎮護のため、交野郡のそれぞれ牧野坂の片埜神社(一之宮)、船橋本町の二ノ宮神社(二之宮、未参拝)、三之宮を修復させたことにより当社に「三之宮」の社名が定着したと伝わります。

◎当社の出色はご本殿背後の玉垣で囲われた磐座。三角形をした二体の巨石「屋形石」が地表に顕れています。当社は江戸時代以前は「三之宮屋形大明神」とも称されていたようです。「大阪府史跡名勝天然記念物」に指定。

なおこの「屋形石」は成分分析がなされ、その結果、当地付近のものではないことが判明。上古からの磐座であることが窺えます。

◎当社地から下った北側に隣接する「ほたに公園」では、縄文時代早・前期から中期に及ぶ遺跡が発見され、土器片(穂谷式)や石器が出土しています。「屋形石」はその時代の磐座であった可能性もあるかと思います。

◎社伝では古く「穂谷」の神奈備山の山頂にあった祠を麓の当地に遷したとのこと。

この「穂谷の神奈備山」がどちらを指すものかは資料が無く不明。南西方向は饒速日命が降臨した「河内哮ヶ峰」とも伝わる「交野山」。南方は「河内哮ヶ峰」に至る前に降臨したと伝わる石船神社。その手前に朱智神社が鎮座する「天王山」。或いは北東の「薪甘南備山」ということなのでしょうか。いずれも「穂谷」地区からは外れており、「穂谷」で限定するのであれば朱智神社のわずかに手前ということになるのかもしれません。ただし朱智神社は西方三町から遷座されたと伝わりますが、その推定地は現在の行政区分に当てはめると河内国交野郡「穂谷」内(周辺一帯の地図を下部にて上げておきます)

◎瑞垣外の脇に「立石」がひっそりと佇んでいます。「伝竜王祠」とも称されます。「当郷旧跡名勝誌」(天和二年・1682年)という書に、「三之宮に善女竜神の小祠あり」とあるようです。つまり雨乞いの神でかつては祠が存在したと。
この竜神に祈っても雨が降らない場合は祠を叩き壊し、御神体をすぐ横の崖に「穂谷川」へ突き落として降雨を祈願、叶えば引き上げたとのこと。これは殺牛馬の首を滝壺へ投げ入れ、竜神を怒らせ降雨を促すといった習俗と同様のものでしょうか。或いは御神体は陽石であり、女神である竜神に陽石を捧げることで潤いをもたらすとされたとも考えられます。
◎「当社は雨乞いの社として崇敬が篤く…」と当社由緒にはあり、雨乞いが主体の社と変遷したようです。
磐座信仰を源とするも、その霊地に息長氏が入植し奉斎。天津神や御食津大神、大國主大神といった神々が創建時に宛てられたのでしょうか。以降は牛頭天王(後に素盞雄大神に祭神替え)や住吉神(雨乞いで「住吉踊」が奉納された)といった神々が勧請されてきたものと思われます。


*中央の赤三角 → 当社
*南方の紫三角 → 朱智神社
*さらに南方の黄緑三角 → 石船神社
*南西の紫三角 → 「交野山観音岩」
*北東の紫三角 → 「薪甘南備山」

大きな駐車場が北側にあります。

一の鳥居

二の鳥居





ご本殿を反対側から。左右脇それぞれのご祭神は不明。

「若宮八幡宮」銘であるものの八幡神は祀られていません。

以下3枚が「屋形石」。

ご本殿の真後ろにあたります。


こちらは「立石」。

向こう側は崖下。そこへ落として願いが叶えば引き上げたとのこと。

こちらは「兜塚」。由緒は不明。


境内社 穂谷稲荷神社



*誤字・脱字・誤記等無きよう努めますが、もし発見されました際はご指摘頂けますとさいわいです。