☆ 西山古墳 (天理市)



大和国山邊郡
奈良県天理市杣之内町・勾田町・御経野町
(南東の案内板前に停め置きスペース有り)



■形状
前方後方墳
(特異な形状を有す、本文に詳細記述)
(周濠有り)
■全長
183m
■築造時期
4世紀前期(古墳時代前期)
■埋葬施設
竪穴式石室
■出土品
道鏡片、碧玉製鏃、管玉、鉄剣、鉄刀片
鰭付円筒埴輪、家形埴輪
■周辺の状況
「杣之内古墳群」のうち最古で中核の一基。
■被葬者
物部氏一族のものか


天理市東部の「布留山」を中心とした山塊から流れてきた「布留川」が、平野部へ流れ出た南岸に築かれた古墳。要衝の地と言えます。

「前方後方墳」という類例の少ない形状。なぜこの形状なのかについては、未だ世に結論は出ておらず今後の研究成果を待ちたいところ。

当古墳は全国最大の「前方後方墳」ということが重要であろうと思います。

3段構築ですが、下段のみが前方後方形、2段目からは前方後円形という特殊な形状。周濠で取り囲まれていたようですが、現在は南西方向にのみ残ります。

6世紀末頃に周濠堤を改変して塚穴山古墳が築かれています(天理高校の敷地内のため見学不可)。そのため全容把握が困難となっていますが、全長200m超の「双方中方墳」の可能性も。いずれにしても破格の規模。

被葬者を特定することについては、情報量があまりに乏しく研究者たちも沈黙を貫いているようです。
ところが当ブログにおいては被葬者を推測し、例え豪放にも候補者を挙げることを推し進めています。そのための古墳探訪活動。

「杣之内古墳群」は「布留川」の南側に築かれた古墳群。北側には「石上豊田古墳群」が築かれています。おそらくはともに物部氏の古墳であろうと思われます。

両古墳群の中で唯一4世紀前半頃に築かれたのが、この西山古墳。しかも規模や形状等から鑑みて被葬者は首長級とみてよいのかと思います。

そうして浮かび上がるのは物部十千根命

饒速日命七世孫。物部連の始祖。
石上神宮の「天神庫(あめのほくら)」に集められた神宝管掌を行った人物。垂仁天皇八十七年のこと。これをきっかけに物部氏の総氏神となっていきます。

かつては崇神天皇陵と考えられていたようです、



前方部の南西角に案内板有り。車もここに停め置きできます。

前方部正面から。

前方部の南西方向から。

後方部の南東側より。

同上。





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