◆ 玉鋼(けら)の杜
~金屋子縁起と炎の伝承~ 5





記事を上げられる神社が無いため、
その穴埋めで…

いやいや!

一度やり遂げる!と決めたからには
ちゃんとやり通します!



「金屋子神 八幡神説」ですが…

「前編」「後編」の2分割を予定していましたが、到底収まりそうにないので
「前編」「中編」「後編」の3分割とするとしていましたが…

それでも収まりきらなそうなので、
「前編」「中編1」「中編2」「後編」の4分割とします。

今回はその「中編2」となります。

最初から最後まで読んで頂いているような殊勝な方はほとんどおられないと思いますが、
その方には大変申し訳なく思っております。


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■過去記事
1 … 金屋子神社の概況(金屋子神祭文雲州非田伝)
2 … 金屋子神の信仰圏
3 … 「金屋子神」八幡神説(前編)
4 … 「金屋子神」八幡神説(中編1)

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■ 「金屋子神」八幡神説 (中編2)

村上英之助氏による、「たたら」研究というものより引用されています。

古代からの「鉄」の研究に関しては、現在の第一人者のお一人のようで、学術的論文の一つでしょうか。

引用文も非常に難解。このまま引用することもままならないので、要点だけをまとめたいと思います。

そして結論を先に記しておきます。
↓↓↓


【結論】
「金屋子神は八幡神の童形の鍛冶神であろう」



この結論に至るまでの推察が延々と語られています。

◎「魏書」東夷伝、辰韓の条より
━━3世紀前半の朝鮮半島南部で、韓・濊・倭の三異族が相並んで、自由に鉄の採鉱冶金に従事していた。(中略) 鉄生産は高度に専門的な製鉄集団(タタラ師)のものと観念され、これらタタラ師は韓族・濊族・倭族である前に、まずタタラ師として同質だったのであり、異質感は、むしろ平地農耕民との間に存在していたと推定される━━

これがわが国のタタラ師のそれにきわめて類似しているとしています。


◎山地「客民」的
こちらでは平地農耕民=「主民」、木地屋・木挽き・杣樵・またぎ・タタラ師などの山地生活民=山地「客民」と定義しています。

そして日本の製鉄職能集団の信仰神は荒神・稲荷神・金屋子神の三つとし、うち純粋な鉄神は金屋子神。その金屋子神が分布するのは中国山地のタタラ師のもとであるとしています。

━━その金屋子神にまつわる伝承の大筋は、高天原から降臨した鉄神、炭と粉鉄集めに従事する朝日長者、そして所によっては十五になるお松と呼ばれるヲナリの話が加わると。
このうち核心的な部分は金屋子神をめぐる部分で、後の二つは一体となって、いわゆる「炭焼小五郎が事」で知られる。
既にタタラ師の信仰表象の中に、他の集団からの「借用語」が入っていると認められる━━
(部分的に省略済み)

ここまでわが国の現状を示した上で、以下の内容に迫っています。



◎「金屋の子神」
村上英之助氏は、三品彰英博士の「対馬の天童伝説」を引用しています。
* 宇佐八幡宮の由来で「足助八幡宮縁起」には、宇佐八幡の神格は元来鍛冶神であり、童形の神(三才の小児の形)である。
* 対馬には天童伝説があり、その分布が鉱山地帯にわたっており、タテラ(タタラ)という地名と結び付きがある。天童は天下って来た童形の神で、一面冶匠たちの奉ずる神であったらしい。
* 新羅の脱解王(第四代国王)については、「三国遺事」の記述に、小童の冶匠であったという伝承がある。

これら3つは明らかに系統的につながりがあり、
━━そしてこれを更に追っていけば、北欧伝説に特長的な、各種の名刀の製作者が「小人」の刀鍛冶であった、という話につながって来る━━
と。明らかに北方系であるとしています。

またタタラ師ではなく、平地在住の加工集団(鍛冶師)であると。
つまり平地農民=「主民」と一体化している鍛冶師から、「客民」であるタタラ師が取り入れたものであると。

後世の「金屋子神」は呼称に「金屋の子神」と僅かに痕跡をとどめるのみで、本来的な神格である「童形」を失っていますが、明らかに鍛冶師のものであり、原型は北方系の小童鍛冶神にあると、ここまでを締めくくっています。


《続く》


(金屋子神社 奥宮の磐座の上に建つ祠)


*誤字・脱字・誤記等無きよう努めますが、もし発見されました際はご指摘頂けますとさいわいです。