☆ 丹敷戸畔伝承地 「御手洗海岸」(王子ヶ浜)
(ニシキトベ)



紀伊国牟婁郡
和歌山県新宮市新宮・三輪崎
(アクセス・駐車は下部写真参照)



神武東征神話に登場する丹敷戸畔

紀伊国「紀ノ川」で名草戸畔を討った後(真相は皇軍が敗れ退却したと思われる)、次に対峙したのが丹敷戸畔

紀には簡潔に記されるのみ。
━━天皇は皇子の手研耳命(タギシミミノミコト)と「熊野荒坂津」(亦たの名を「丹敷浦」)に上陸、丹敷戸畔を誅した━━

戦ったとも書いていなければ、どのように誅したとも書かれていません。どのような人物であったのかすら。

当地は丹敷戸畔を討った後、神倭磐余彦(神武天皇)が手を洗ったと伝わる地。

この後、神が「毒氣」を吐き萎えされます。
天照大神が武甕槌命を通じて、高倉下命(タカクラジノミコト)を介して「韴霊剣(ふつのみたまのつるぎ)」により難を逃れています。

丹敷戸畔が拠点としていた地は不明。
伝承地としては串本(墓所がある)~熊野市二木島町辺りまで。広範囲に収めていたのか、或いは串本から当地辺りまでなのか、詳細は分かりません。

「おな神の森」と伝わる丹敷戸畔ゆかりの地の麓。奇岩が並ぶ景勝地。丹敷戸畔の根城の一つであったようにも見受けられます。

「熊野巡覧記」(寛政六年 1794年)には、「是より濱邊通る 小き山の尾崎ヲ登り下る也 其山崎ニ御手洗といふ所有 盥(たらい)の如き石三ツ有 昔の順路にて胎内潜といふ岩穴なと通りしと有リ 今ハ其上の山を通るなり」と記しています。


「盥の如き石三ツ」の一ツが下部写真に見えるものでしょうか。また「胎内潜」というのが下部写真にある窪みのことでしょうか。訪れた範囲の中ではちょうど3ヶ所ありました。





「熊野参詣道 高野坂」を目指します。
「新宮警察署」より東100mほどの道を南下していきます。途中かなり細い箇所があるので、運転に自信のない方はかなり困難。緑の丸囲みマーク(人が杖を持っている)が起点。3台程度駐車可。トイレ有。



「王子ヶ浜」から「御手洗海岸」を。もちろん線路は越えません。

こちらを登って行けば「おな神の森」(高野坂)へ。こちらを登らず右手に逸れる道へ。

高架下を潜ります。

すぐにこの場所へ。


窪みがあるので潜ります。

こちらが「胎内潜」でしょうか?

最深部。祭祀の様子は無し、満潮時には到達しそうですし。




こちらも窪みがありますが、祭祀の様子はありません。



どんどん奥まで進んで行きます。

この岩は形状から祭祀対象であった可能性も。盥の如く形状をしています。


潮が引いた隙を狙って奥へ。

これ以上は危険か…。



*誤字・脱字・誤記等無きよう努めますが、もし発見されました際はご指摘頂けますとさいわいです。