名手八幡神社
(なてはちまんじんじゃ)


紀伊国那賀郡
和歌山県紀の川市穴伏463
(社前に大きな駐車場有り)

■旧社格
村社

■祭神
誉牟田別尊
帯仲比古尊
息長足姫尊
丹生津比売命
蛭子命
菅原道真公 
[配祀] 天照皇大神 国狹槌命 天太玉命 天児屋根命 武甕槌命 須佐男命 八衢比古命 八衢比売命 大山祇命 大己貴命 上筒男命 中筒男命 底筒男命 天牟良雲命 宇迦之御魂神 幡姫命 経津主命 高野御子大神


「紀ノ川」北岸畔、紀の川市「穴伏(あなぶし)」に鎮座する社。なだらかな傾斜は見られるものの、概ね平坦地の地形。当社地より東方500m余りを北の和泉山脈から流れ出た「穴伏川」が走っており、「紀ノ川」に合流します。
◎和歌山県神社庁は、━━紀伊ノ国紀北御開拓の祖神、丹生都比売大神が御降臨なされた聖地であり古代より産土神として御奉斎されている━━とし、原始は丹生都比売大神を祀る祭祀場であったことを示しています。
◎続けて、━━神功皇后が三韓征伐の後、筑紫より御顗旋の途中、畏しこくも此の応神山に御幸啓なされ、当神社に御奉斎される神々に、筑紫の蚊田(現、福岡県糟屋郡宇見町)で御授けなられた後の第十五代応神天皇(誉牟田別命)の御生誕を御奉告なされ、約3ヶ月間当山に御駐輦なされた(当山を「応神山」と称するのはこの由に依る)故により、その縁をもって誉牟田別命を当社の主祭神として勧請し御奉斎している━━としています。
◎現在は山らしきものは見られず、「応神山」については不明。また遷座等についても触れらていません。現在の地名では「名手下」が北東方向にあり(丹生神社が鎮座)、「平野」という地を挟み「名手上」という地があります。いずれも「穴伏川」沿いの地。そちらは丘陵地であり、背後には山々が控えます。そちらから遷座されてきたのでしょうか。
◎現社地の「穴伏」という地名の由来に関しては資料が見当たらず不明。かつては「穴虫」と記されていたとする資料も。「穴伏」にしろ「穴虫」にしろ、「穴師」からの転訛ではないかと考えられる地。丹生都比売大神が祀られることから水銀が産出したと思われますし、また鉄の産出地であったとも考えられます。


駐車場は落葉がびっしりと。

手前左端は龍王神社、右手の燈籠2基が並ぶところがご本殿への参道、右端は境内社安高稲荷大明神。










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