金屋子神社


出雲国意宇郡
島根県安来市広瀬町西比田307-1
(P有)

■祭神
[配祀] 素盞嗚命 石凝姥命 譽田別命 市杵島姫命 息長帶姫命 玉依媛命 伊弉冉命 天照皇大神 天児屋根命 倉稲魂命 天玉祖命 押武金日命 猿田毘古命 天鳥船命 建御名方命 大國主命 事代主命 迦具土神 上筒之男命 中筒之男命 底筒之男命



中国地方におよそ1200社を数える「金屋子神社」の総本社。安来市の市街地よりおよそ内陸25km、標高450mほどの山村地域に鎮座する社。
◎「金屋子神」とは、たたら師、鍛冶屋、鋳物師(いもじ)たちが信仰した製鉄の神、火の神。中国山地には「たたら」が多く存在したため、この神を祀る神社も多く存在します。
◎この金屋子神は女神とされることが多いものの、男神とするものも。また金山彦命或いは金山媛命と同神とされることが多いものの、金山媛命金山彦命を娶って生んだ子であるとされたり、他にも八幡神、天目一箇神(天御影神)、天日槍神、素盞嗚命または五十猛命、木花佐久夜姫命、姫蹈鞴五十鈴姫命、思兼命などと同神とする考えもあり、謎の神と言わざるを得ません。記紀にも登場しない神。

◎当社創建由緒や年代は度重なる火災により文献を悉く焼失しており不明。当社の由緒書には以下のようにあります。
━━当社に伝わる「金屋子祭文雲州比田ノ伝」に依れば、金屋子神は、村人が雨乞いをしていたところへ雨と共に、播磨国岩鍋(兵庫県千草町岩野辺)に天降り、吾は金作りの金屋子神である、今よりあらゆる金器を作り、悪魔降伏、民安全、五穀豊饒のことを教えようと かくして盤石をもって鍋を作り給うた。故にこの地を岩鍋という。だが、此処には住み給うべき山がなかった。そこで、吾は西方を司る神なれば西方に赴かんとして、白鷺に乗って西国に赴き、出雲の国能義郡黒田奥比田の山林に着き給い、桂の木に羽を休めておられるところ、たまたま狩りに出ていた安部正重(宮司の祖先)が発見し、やがて神託により、長田兵部朝日長者なる者が宮居を建立し、神主に正重を任じ、神は自ら村下(「むらげ」=技師長)となり給い、朝日長者の集めた炭と粉鉄(砂鉄)を吹き給へば、神通力の致すところ、鉄の涌くこと限りなしとある━━
◎留意すべき箇所が多く見られますが、うちいくつかのみを。まず「播磨国岩鍋」は、こちらも鍛冶製鉄の盛んな所。次に金屋子神が「雨乞い」とリンクしていること。本来は「雨乞い」を行う稲作民と鍛冶製鉄従事者は相容れないもの。ところが下部の「朝日長者」に見られるように、稲作長者が鉄山経営の資力となったことに由来するものと思われます。最後にもう一つ「白鷲(白鳥)」を。記紀に見られるホムチワケ皇子の説話や日本武尊の白鳥伝説など、鍛冶製鉄と白鳥はしばしば関わりが見られます。世界に鉄器文明をもたらしたと言われるヒッタイト族(後にタタール人)が、帝国の崩壊とともに世界中に散らばりましたが、白鳥の生息地と一致するとも言われています。
◎「金屋子信仰」はいつ頃から始まったのかも分かっていません。おそらく記紀編纂以降に創生された神と思われます。また当社が「出雲国風土記」や「延喜式神名帳」にも記載されていないことを鑑みると、当社創建は早くとも10世紀半ば以降のこと、「金屋子信仰」もそれ以降と考えられます。
◎当社境内から300m程度、山を登った所に奥宮が鎮座します。こちらが原初の鎮座地であったとされ、巨大磐座の上に小祠が設けられています。

(全20回にて記事を起しました)


2022年11月末日閉館、同市内「和鋼博物館」にて展示物は継承されるとのこと。



この手前左と鳥居右手が駐車場。


奉納された「鉧(ケラ)」。鉄の粗製品。下部には敷き詰められた大量の金屎が。境内の隅の方には金屎が無造作に転がっています。

「金屋子神話民俗館」内には、さらに巨大な鉧が据えられています。













境内社 金儲神社



境内社 山神神社

境内社 天田神社(天鉧女命)




社前の「金屋子神話民俗館」。2022年11月閉館予定。




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