河邊神社 (雲南市木次町)


出雲国飯石郡
島根県雲南市木次町上熊谷1462-1
(社前に停め置きできるスペース有り)

■延喜式神名帳
河邊神社の比定社

■旧社格
村社

■祭神
久志伊奈太美等與麻奴良比売命(クシイナダミトアタハスマヌラヒメノミコト)
清之湯山主三名狹漏彦八島篠命(スガノユヤマミナサルヤシマジヌノミコト)
[相殿] (正八幡宮)誉田別命 気長足媛命 足仲彦命 (海原神社)海津海童命 中津海童命 下津海童命


「斐伊川」が大きくうねる「河邊」に相応しい地に鎮座する社。鎮座地は「雲南市木次町(きすきちょう)上熊谷(かみくまたに)」。
◎「出雲国風土記」の「熊谷郷」条に、━━古老傳へて云ふ 久志伊奈太美等與麻奴良比売命はらみて将に産まんとするに及び 生む所を求む その時此処に到り来て甚だ久麻久麻しき谷在り 故に熊谷と云ふ也━━とあります。
当地が「隈」、つまり奥まった静かな地で、出産に適した処と判断したということかと。
◎原初は「下熊谷」との境に近い「烏帽子山」麓、「斐伊川」畔の「正理」という地にあったとされます(社頭案内は「字松林」としている)。詳細地は不明ながら「下熊谷」との境ということから、1kmほど下流の辺りということになるのでしょうか。なおさらに1kmほど下流には「くまがいさん」という産井戸の伝承地があるようです(現地未確認)。
後に「字中ノ段」の現社地に鎮座していた海原神社(かつては八大竜王社)の境内に迎えて、当社を並立させ、さらに「字上ノ段」に鎮座していた正八幡宮を遷座させて三社並立の形にしたとのこと。明治には海原神社と正八幡宮を相殿としたようです。
◎出生したのは清之湯山主三名狹漏彦八島篠命(八島士奴美神)。もちろん父はスサノオ神で母は稲田姫命。
記には記されるも紀には記されない神。大山津見神の娘である木花知流比売を娶ったとあります。大山津見神の子は多く記され、木花開耶姫を始め、石長比売命、櫛名田比売神の次に妻となった神大市比売、櫛名田比売神の父母である足名椎・手名椎など。
なお八島士奴美神は「先代旧事本紀」においては、またの名を大国主神、大己貴命と記しています。
◎久志伊奈太美等與麻奴良比売命(クシイナダミトアタハスマヌラヒメノミコト)とは櫛名田比売(奇稲田姫命)のこと(詳細は → 杉森神社の記事にて)。つまり母子が祀られているということになります。
◎当社は式内社 河邊神社の比定社であり「出雲国風土記」記載の河邊社の論社。
他に論社として「雲南市吉田町」の杉森神社、「雲南市佐田町須佐」の厳島神社(須佐神社境外末社)、「雲南市三刀屋町」の奈倍山神社、「木次町下熊谷」の並九神社が有り(杉森神社以外はいずれも未参拝)。
◎天保六年(1835年)の「雲陽誌」には、「駒形明神」として記され「久志伊奈太美」を祀るとしています。なおその書においては須佐神社境外末社である厳島神社を比定しています。









*誤字・脱字・誤記等無きよう努めますが、もし発見されました際はご指摘頂けますとさいわいです。