杵築神社 (大和郡山市椎木町)


大和国平群郡
奈良県大和郡山市椎木町444
(近隣は狭小道路なので要注意)
(境内に駐車可)

■祭神
素戔嗚命
誉田別命
天都児屋根命


「富雄川」東岸に広がる低湿地帯、かつての平群郡「椎木村(しぎむら)」、現在の大和郡山市「椎木町」に鎮座する社。
◎「椎木村」には北西と南東に2つの古い集落が見られます。当地は南東側の集落内。それぞれに鎮守社と思われる社が鎮座。当地は杵築神社、南東側は厳島神社。荒廃した厳島神社とは異なり、当社は美しく維持管理がなされ、しっかりと奉斎が続けられているようです。
◎創建由緒等に関しては、社頭に掲げられるいくつかの案内板によりおおよそは推測できそうです。ただし内容が一部異なるため、個人的思量を含みます。
◎まず創建は社伝によると文永三年(1266年)としています。他案内板によると、第82代後鳥羽天皇の中宮宜秋門院(1173~1238年)に仕えた覺阿という者の領地であったが、縁故あって淨阿という尼法師に伝わっていたと。その淨阿は春日大明神(春日大社)への信仰が篤く、夢のお告げにより毎日若宮明神(春日大社別殿 若宮神社)へ大般若経六百巻を書写し転読していたと。さらに寛元元年(1243年)に「椎木庄」一帯を寄進したとのこと。
◎覺阿という僧侶の俗姓は藤原氏であり、第36代春日大社宮司、花山院親忠による案内板にある「椎木というこの土地は、以前からの古い春日の神領で…神主たちは神社に近い奈良に移住するようになり、その神領の管理を藤原氏ゆかりの者に譲った」というのが、この覺阿という者と合致するかと思います。
◎時代は下り応永十四年(1408年)には、特産の「真薦(まこも)」十枚が春日大社遷宮に上納されたようです。これが現在でも「椎木の薦上げ」として続けられているようです。
◎ご祭神に見える天都児屋根命は往時から鎮まるものと思われますが、他の2柱がいつから祀られるようになったのかは不明。「牛頭天王社」と称されていた時期もあるようです。
なおご本殿が奈良県指定文化財に登録されています。


南側からもアクセスできますが、北側からのアクセスの方が道はやや広め。


一つ上の写真の左上に停まる車の横からこちらに進入可。