◆ 「藤原京」 浪漫逍遙 ~1




「藤原京」というのを「意識」したのは、確か小3~5年生頃のこと。
当時の歴男少年はドキドキ!ワクワク!ものでした。

それ以降はというと…

あまりに身近過ぎるため、
関心の高い時代ではないため、
敢えて「意識」することはなくなりました。

今あらためて「意識」しようと。


(思い付きですが…)



実は当時より遥かに大きな都であったことが、だんだんと分かってきています。
平城京・平安京より大きいものであったと。

取りあえず本格的なものを造ってみた~
…ではなく「本物」だったようです。


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シリーズ記事にはするものの不定期。
内容も通しではなく気の赴くままに。

風景写真を多めに。
「藤原京」のウンチクは少なめに。

「浪漫逍遙」などという
便利な言葉でごまかして…と。


いや!後ほど「藤原京跡資料館」の見学記事をUPします。ウンチクはそちらにて。

こちらでは…
え?ホント?知らんかった~!スゴ~い!
…的な内容のみにしておきます。





たぶんキバナコスモスだと思うのですが…
満開でした(8/18)。

この写真を撮りにちょっと立ち寄ったのが、
えらい大げさなことになりました(笑)



奥に見えるのは「耳成山」


ちなみに冒頭写真は
奥に「天香久山」を。


昔は「大和三山」(天香久山耳成山畝傍山)の内側に「藤原京」があると考えられていました。手狭なので平城京遷都されたとも。

ところが近年の発掘成果で大幅に巨大化。
「藤原京」の中に「大和三山」があったことが分かったのです。


現在の近鉄線で南北4駅分。
アスリートでもない限り端から端まで、普通は歩きません。

いかに本物の都であったかお分かり頂けるかと。





ここは「大極殿院閤門跡」になるのかな?


上の写真は背後に「天香久山」を。

下の写真は真南を。
背後にはこの前記事を上げた孝元天皇陵
それから全長310mの丸山古墳等があります。




背後は「畝傍山」




「藤原京」と「藤原宮」の違いを書いておかねば!


「京」は都、「宮」は皇居。

都には多くの貴族たちも住み、屋敷がたくさんあります。人口は推定4~5万人とも。
「大路」(道)や下水、社寺など生活に関わるすべてを含んだもの。

皇居はもちろん都の中にある皇居。

「藤原京」は、おおよそ5km四方の長方形。
「藤原宮」は、おおよそ1km四方の長方形。



ちなみに現在の橿原市の人口は
12万人(令和四年七月)。

「藤原京」面積 … 25㎢
「橿原市」面積 … 40㎢







ご興味のある方はご覧下さいませ。

ピンボケで分からん!といったご指摘は甘んじてお受け致します。私も今初めて気付きました。



そもそも「藤原京」の知名度ってどれくらい?
実はほとんど知られてない?

「日本で最初の都」
このような感じでいいのかなと思います。




当日は久しぶりに「鴨公(かもきみ)神社跡」を拝しました。樹叢内に鎮座します。

古代史においては重要なお社であると認識しています。



すぐ側で発掘調査が行われていました。
この場所は「藤原宮」内、つまり「内裏」内。中枢部分です。

ニュースで何かスゴいものが発掘されたとか…何とか…

え?え?え?
今頃こんな所の発掘調査を???




どうやら「藤原京」の発掘は
まだまだ手付かず状態のようです。

これからいろんなものが発掘され、いろんなことが分かるのでしょう!




前日の雨でシートが被せられているため
地表は見えません。




季節が変わると見え方も変わるものです。
次回は秋頃に…。