☆ 日子坐命御墓



美濃国各務郡
岐阜市岩田西
(伊波乃西神社のP利用)
(登拝時間等は下部写真参照)



第9代開化天皇の第3皇子、日子坐命(日子坐王、彦坐王)の御陵。岐阜市北東部の郊外、「長良川」沿い「岩田西」、「清水山」(標高162.8m)の中腹に築かれています。


日子坐命は崇神天皇十年に丹後の土蜘蛛、陸耳御笠(クガミミノミカサ)討伐後に御子の八瓜入日子命(神大根王)とともに当地を開拓。当地で最期を迎え、そのまま葬られたと伝わります。

御陵は縦2.4m横1.8mの巨岩が据えられたもの。現在は鳥居と瑞垣で囲われています。かつてはここに伊波乃西神社の拝殿があったとされ、御神体を直接拝する社であったと想像されます。

果たしてこの巨石は磐座であったのか、或いは石室の用材であったのか、興味を引くところ。

宮内庁諸寮の「陵墓要覧」には「墓山形、周囲柵」とあり、山形の墳墓と見なしています。つまり石室用材であると。

一方でこの巨石は地元民の間では「岩西様」と称しているようで、いつの頃からか不明ではあるものの古来より現状に近いものであったと思われます。

個人的思量ながら、時代背景や日子坐命の事績を考えるなら、古墳であったとすれば最低100m超級のものであったはず。この小山に収まるとは到底思えず、これはやはり磐座と見なすべきかと思うのです。もちろん古墳が築かれなかった理由は分からず、そこは謎なのですが。

「御陵墓祭」が例祭として3月21日に伊波乃西神社で行われているとのこと。また毎年10月11日には滋賀県木之本町の住人数十名が観光バスを連ねて御陵参拝に上がるようです。おそらく同じく日子坐命を祀る佐波加刀神社の氏子たちであろうと思います。



伊波乃西神社の一の鳥居。この向かって左手から当墓への登拝道があります。駐車場は向かって右手に。

ここから参道。

伊波乃西神社の社殿を横目に登拝道を。

ここから坂道に。始めは緩やかですが、だんだんと勾配がきつくなります。

登拝口からは200m足らず。10分ほどで到着できると思います。参拝当日はどしゃ降りの雨、滑落しないように20分以上かかりましたが。