子安神社 (大垣市赤坂町)


美濃国不破郡
岐阜県大垣市赤坂町字羽根4026
(境内北側にP有り)

■祭神
神功皇后


「金生山(かなぶやま)」の南側裾の丘陵地の斜面に鎮座する社。隣接して丘陵上方に金生山神社(後ほど記事UPします)、当社と横並びに秋葉神社、さらにその向こうに八王子神社(未参拝)など、社寺が密集するエリア。
◎「金生山」はかつて銅と鉄が採れ、古代より鍛冶が行われてきたと推定される地。地名「赤坂」はその面影を残すものと考えられます。南方には鍛冶神を祀る金山彦神社(未参拝)が鎮座、銅鐸も出土しているとのこと。
◎創建年代は不詳。「三代実録」には貞観十八年(876年)に「児安神社従五位下」と見えるのが最初。その後「美濃国神名帳」には「正二位児安大明神」とあり、高位の神階が授与されています。また近世、現代に至っても後述の通りこの小さな社には、到底相応しいとは言えない崇敬を授かっているようです。
◎この「児安神社(大明神)」について、南宮大社境内社 子安社とする説もあるようです。ところが岐阜県神社庁は━━平治物語に佐藤重成が義朝に代わりて子安の森にて討死云々とあり、八雲御抄に子安の森赤坂宿の北金生山の麓云々とあり。また熊坂の謡曲などにも青墓の子安の森などとある━━などの点から当社のことであると断じています。
◎社頭案内板には、━━当神社は神功皇后・応神天皇の二柱を奉祀し 往古より安産の神として遠近の崇敬あつく (中略) 霊験により境内の竹を以て御産刀を作るを常とする 三代将軍徳川家光公もこの由を聞し召され戸田家(大垣領主)に命じ代々御産刀を献せしめらる━━とあります。また昭和三十五年には、皇太子美智子殿下の御安産に対し御産刀などが奉献されたとのこと。
◎あくまでも推測の域は出ないものの、古代にはかつて「金生山」で産出された鉄で刀鍛冶が行われていたのではないかと。それが正二位にまで昇り詰める神階を生じせしめたのではないかと。ところが鉄を採り尽くしたために、竹製の刀へと転じたのではないかと。当地周辺に神功皇后の足跡は見当たりませんが、そもそもは「鉄の神」アメノヒボコ神を祖とする息長氏の裔、その故で祀られた可能性もあると考えます。



駐車場はご本殿の裏側(北側)に。当日は「金生山化石館」に車を停め見学し、そのまま当社や金生山神社、秋葉神社を拝しました。



神功皇后ゆかりの「跨ぎ石」。ありふれたものですが、鍛冶に関連する道具に似た形にも見受けられるのですが…。

御神木。境内に竹は多くありません。