多岐神社 (養老郡養老町三神町)
美濃国多藝郡
岐阜県養老郡養老町三神町406-1
(当社境内を含む「宮の森公園」の大きなP有り)
■延喜式神名帳
多伎神社の比定社
■旧社格
郷社
■祭神
倉稲魂神
素盞嗚命
[配祀] 大市比咩神
「揖斐川」支流、「牧田川」南岸の「養老町三神町」に鎮座する社。「養老山地」の東麓、平坦な穀倉地帯。美濃国三ノ宮であり、多藝郡の総社。
◎多藝郡(たぎのこほり)は、日本武尊が「伊吹山」から伊勢国三重郡へ向かう途次、当地で「吾が足得歩まず 当芸当芸(たぎたぎ)しくなりぬ」と発したことからの郡名とされます。
◎創建は和銅元年(708年)とも、和銅五年(712年)とも言われます。古老伝によると山城国の伏見稲荷大社からの勧請であるとのこと。
◎当社を奉斎していたと思われるのは多芸氏(タギノウジ、多芸連とも)。当地を拠点とした物部氏の部民とされます。おそらくは当地を開拓したのではないかと。
当社を彼らの氏神とするのであれば、祖神を祀るのが常例かと思われます。従って伏見稲荷大社からの勧請云々というのはやはり後世のことではないかと考える次第。
◎美濃国三ノ宮として、また多藝郡一の大社として、かつては数百万石の所領を抱えていたとのこと。戦国の動乱により社領は略奪され、神官を放逐されたりと、ついに一村の村社と成り果てたようです。明治に至って郷社となり、現在は近隣から厚く崇敬されているようです。