高見神社 (松原市高見の里)


河内国丹比郡
大阪府松原市高見の里3-8-29
(P無し、近隣停め置き不可)

■祭神
(シンメイさん)


「大和川」支流の「西除川(にしよけがわ)」右岸、松原市「高見の里」に鎮座する社。住宅密集地内、囲まれるように鎮座します。
◎創建由緒等は伝わっていないようです。「シンメイさん」を祀ると伝わりますが、その詳細は不明。「神明」と捉え天照大神ではないかとする資料もありますが。
◎以下の民話が伝わります。
━━反正天皇は今の柴籬神社がある場所に居た。天皇は村々をあちらこちらと馬を走らせ、人々の生活の様子を見る事を日課としていた。松原の人々はこの天皇を大層慕い、五穀豊穣、天下太平であった。ある日、いつものように天皇が馬を走らせて高見神社あたりまで来ると、藁把をたっぷりと背中に背負い満足そうな表情の少女に出会った。天皇は「どうしてそのように満足な笑顔で立っているのか」と尋ねると、「私は田畑も持たず、こうして藁を売り歩く貧しい者ですが、この地に立って噂の通りの天皇である事を知り、この地で生活をしようと決めたところです」と答えた。さらに天皇は問うと、「この場所はこの辺りでは一番高い所にあります。この地で周りを眺めると、あちらこちらから夕食の支度をしているかまどの煙が、豊かな生活を象徴するようにたち昇っております」と答えた。天皇はこの利発な少女を大層気に入り、出会った地を「高見ノ里」と名付け、少女をこの地に住まわされた。やがてこの少女が天皇と結婚して高見神社に住み、柴垣神社へ夜になるとかよい妻となって出かけた。
高見神社の御祭神は、女神でシンメイ様と伝えられているが、この少女であるという証拠は何も残っていない━━(松原市サイトより抜粋)
◎第39代反正天皇の「丹比柴籬宮」柴籬神社境内であったと伝わり、当社より東方1km余りと目と鼻の先。天皇と結婚したということを信じるなら、妃である津野媛、もしくは妹の弟媛。和珥木事の娘。反正天皇には皇后がおらず、この2人が妃として記紀には記されます。不明のご祭神「シンメイさん」とは、この2人のどちらかではないかと考えます。