☆ 反正天皇 丹比柴籬宮跡
(たじひしばがきのみや)
第18代反正天皇の宮跡とされる地。
その旧跡に柴籬神社が建てられたとされ、反正天皇を主祭神とします。
創建年代は不詳ながら、第24代仁賢天皇の勅命により創建されたと伝わります。
反正天皇の先代は履中天皇、次代は允恭天皇。いずれも第16代仁徳天皇の同母兄弟。「宋書」などに記される「倭の五王」のうち、「珍」とするのが有力。
多遅比瑞歯別天皇(タヂヒミズハワケノスメラミコト)、水歯別命などとも表記されます。
事績の記述はまったく無し。記には容姿のことのみ記され、容姿端麗、歯並びが美しいと。身長は9尺2寸半(約3m)、歯の長さは3cm、厚みは4mmであると。
3mの身長など有り得ず、また歯の厚みまで記すとは…これはもう創作話!
ここで個人的な見解を。
「歯」の並びが「瑞」(美しい)から「瑞歯(みずは)」天皇と記されますが、「ミヅハ」別天皇だったのではないかと考えています。
「ミヅハ」と言えば罔象女神(水波能売神・彌都波能売神)が連想されます。こちらは「ミヅハの女神」。解釈はいろいろあるでしょうが、「水つ早」として、水の流れ出す所(流れ始め)を神聖視して祀られた神であると考えます。つまり湧き水。古代の井戸は概ね湧き水のことと考えて差し支えないと思います。
なぜか「新撰姓氏録」に誕生神話が載せられています。
仁徳天皇の御世に淡路宮で生まれますが、色鳴宿禰(天火明命の裔)が「淡路瑞井水」で瑞歯別尊を濯いでいたところ、「虎杖の花」(イタドリやスカンポなどとも)が湯の中に飛び入ったため、色鳴宿禰は瑞歯別尊を「多治比瑞歯別命(タジヒミズハワケノミコト)」と命名したと。
「虎杖」には「タジヒ」という別名があるとのこと。現在は堺市美原区「多治井」という地名が残り、天火明命や瑞歯別命を祀る丹比神社が鎮座します。
この「淡路瑞井水」に因むのが「ミヅハ」別天皇。それが忘れられ創作された話が載せられているのではないかと考えています。
なお次代の允恭天皇が大和に都を遷す際に、「松生し丹比の松原」と歌ったことから松原市という地名が起こったとされています。