柴籬神社
(しばがきじんじゃ)


河内国丹比郡
大阪府松原市上田7-12-22
(境内に駐車可)

■延喜式神名帳
[境内社 田坐神社] 田坐神社の論社

■旧社格
村社

■祭神
反正天皇
[相殿] 菅原道真公 依羅宿禰


「大津道(長尾街道)」と「丹比道(竹内街道)」のほぼ中央に鎮座する社。いずれも河内国内を東西に走っていた古道。
◎鎮座地は第18代反正天皇の皇居「丹比柴籬宮跡(たじひしばがきのみやあと)とされます。
創建は社伝によると第24代仁賢天皇の勅命によるとのこと。反正天皇を偲んでのことと思われるも記紀等に記述は無く、どのような経緯で創建に至ったのかは不明。5世紀前半頃とみられています。
反正天皇は紀では瑞歯別天皇と記されるように、綺麗な歯並びあったことからの命名。境内社には「歯磨き面」という奇妙な石造物も。
◎創建後の記録等も無いようです。かつては広庭神社及び天満宮と称された時代も。貞観六年(864年)には幣帛を授かっていることから、遅くともこの時期には創建されていることは確実。
戦国時代には河内国守護 畠山氏からの崇敬は篤く、江戸時代には井原西鶴が再三再四参拝。当社の狂歌を数多く残しているとのこと。句碑も立てられています。
◎拝殿奥に鎮座する小祠は田坐神社。こちらは松原市「田井城」に鎮座していたという式内社 田坐神社を、明治に当社へ合祀したことによるもの。昭和六十年に遷座祭が行われ、元の鎮座地に復社しています(→ 田坐神社)。当社ご祭神に見える依羅宿禰(ヨサミノスクネ)は田坐神社にまつわる神と思われます。詳細は田坐神社の記事、大依羅神社の記事にて。



山門はかつて存在した神宮寺の名残。




市街地の神社らしい防火基準に合わせた造り。




拝殿の向かって左端から田坐神社へ。


「歯磨面」が据えられた境内社。住吉社と歯神社(歯噛社)であるとのこと。

このようなものが果たして必要なのかどうかは別として、反正天皇を称え、また参拝者数を増やすために一役買っているのかもしれません。


境内社 大歳社


不明の境内社。