岩室稲荷神社 奥宮 (天津磐境、岩室・岩蔵)


丹後国加佐郡
京都府舞鶴市吉坂138-9
(標高差50mほど、10~15分ほどの登拝)
(P有)

■祭神
(不明)


稲荷神社(岩室稲荷神社、吉坂稲荷神社などとも)の奥宮。巨石・奇岩信仰に端を発した社と思われます。
稲荷神社の由緒に、━━明室山に卜へて、天津磐境に神籬を樹きて神宝を奉安し、此の地鎮護祈願所として祭らせられたのが創祀と伝う━━とあります。この「天津磐境」が奥宮の祠の横に座す巨石群。
◎これは当社社記によるもので、社務所の展示スペースに掲げられています。信用に足る資料であるのか確認のしようもありませんが、甚だ重要な内容を含むため、この後の部分を要約して以下に掲げておきます。
*ガラスに光が反射し判読不能な部分が多くあります。
*古文であり不勉強なため解読できない箇所があります。
*「綾」を「稜」の誤写と捉えました。
━━陸耳御笠が「岩蔵」に遁隠し天火明命に命乞いをした。崇神天皇の御代に丹波道主命が再び「伍蔵社(稲荷神社のこと)」を参った時、巖石が光輝いたので、「此の岩は彌栄(いやさか、=ますます)大きく高く奇し(くし)なる岩也。稜岩(威光があって神々しい岩)也」と歌った━━と。
◎「岩蔵」「巖石」「稜岩」などと多様に表現されています。解読できないこの後の文章にも「御蔭岩」という表現も。いずれもこの岩群を聖なるものとして表したと思います。
◎高さは3mほど、全体の幅は10m余りあるでしょうか。現地を確認する限り、組み上げた「磐座」ではなく露出岩盤のように見受けられます。ところが明らかに据え置いたと思われる岩も存在します。露出岩盤の周りに集めたとみるのであれば、やはり「磐境」ではないかと考えます。
◎現地は荒れ放題の悲惨な状態。サイト等で昔の写真を管見するに、岩盤上には祠がいくつか存在し、巨石群全体に対しての注連縄が掛けられていたようです。奥宮そのものの社殿も崩壊したまま。また本社の鳥居の朱も剥脱したまま。
少なくとも古墳時代初頭、或いは弥生以前からの貴重な遺跡。歴史の移ろいとともに当社への信仰が薄れてきているのでしょうが、憤りを隠せません。



石段は全部で400段ほどとする資料もありますが、もう少しあったように思います。