☆ 三倉堂遺跡 (新池)


大和国葛下郡
奈良県大和高田市三倉堂2丁目10付近
(ごく短時間なら北東角の案内板前に停めてもよさそう)(南西角に墓地有り)


第4代懿徳天皇にまつわる遺跡。案内板には━━三倉堂は御座(みくら)跡で、懿徳天皇の時に遷都され高御座跡といい、後に「ミクラド」といわれるようになった━━とあります。

懿徳天皇の事績は記紀にはまったく記されておらず、根拠は無く伝承のみ。

懿徳天皇の宮は「軽曲峡宮(かるのまがりおのみや)」で、高市郡の牟佐坐神社の周辺とされます。第3代安寧天皇の「片塩浮孔宮(かたしおうきあなのみや)」は、葛下郡の石園坐多久虫玉神社の境内に比定されていますが根拠は無く、当地を候補地とするものも。

案内板は第3代安寧天皇の宮跡が、第4代懿徳天皇の時に遷都され「高御座跡」になったとしているのだろうと思います。

「高御座」は皇位継承の儀式の際に用いられる玉座のことですが、この時代にこのようなものが存在したのかどうか。そもそも欠史八代の天皇ですが。

また古墳時代の円筒埴輪や六基の木棺などが出土しているとあります。かつては古墳だったのでしょうか。