牟禮神社
(むれじんじゃ)


摂津国島下郡
大阪府茨木市中村町5-7
(P無し)(アクセスはスーパー「コノミヤ茨木店」の西側角から北へ伸びる道を200m余り)

■延喜式神名帳
牟禮神社

■旧社格
村社

■祭神
建速素盞鳴尊
天児屋根命


京都府亀岡市の「竜ヶ尾山」を源流とする「安威川(あいがわ)」の西岸畔、丘陵地に鎮座する社。
◎創建由緒等は不明。記の垂仁天皇の段、系譜を示す記述内に「大中津日子命… (中略)…牟礼之別等祖也」とあり、この牟礼之別という者が祖神である大中津日子命を祀った社ではないかと考えられています。
◎大中津日子命は垂仁天皇と皇后 日葉酢媛命との間の第3子。兄は五十瓊敷入彦命、景行天皇。ただし紀の方では大中津日子命の記述は無く大中姫命となっています。大中津日子命、牟礼之別(牟礼氏か)の事績等については、記紀やそれ以外にも文献等の資料が無く詳細不明。当地での伝承も知り得る限りは無さそう。
◎社伝においては信長の寺社焼討ちの難から免れるため、信長が信仰していた牛頭天王、春日神と祭神を偽ったが、それがそのまま定着したとのこと。牛頭天王は明治に建速素盞鳴尊へと祭神替えされたことと思います。
◎かつては「戸伏(とぶし)」の「安威川」畔に鎮座していたのを、寛永元年(1704年)に遷座させたようです。「戸伏」は「中村」の北西隣の地、遷座理由は不明。洪水等でもあったのでしょうか。
◎「牟禮(むれ)」とは一般に「山」のこととされますが、当地付近には山は見られず、やはり牟礼という豪族が奉斎した社なのでしょうか。神階授与等、当社についての文献等の記述は無く、式内社である所以も分かりません。






社殿の方ではなく「安威川」の方を向いている遥拝所。何に対して遥拝しているのか不明。旧社地に対しての遥拝なのでしょうか。

こちらが「安威川」。遥拝所からは30mほど。