天神社 (奈良町天神社)


大和国添上郡
奈良市高畑町1049
(P無しと近隣コインP利用)

■旧社格
村社

■祭神
少彦名命
菅原道眞公


奈良市「高畑町」の小丘頂、「ならまち」の最高所に鎮座する社。
◎社頭案内に掲げられる創建由緒等については以下の通り。
━━当神社の境内地を 含む一帯は、平城京がわが国の首都であった八世紀、平城(なら)の飛鳥とよばれた聖地でありました。ここにまず祀られたのが国つ神の中心の一柱である少彦名命で、手間天神とよばれ医薬や学問の神としてあがめられました━━
「平城(なら)の飛鳥」というのは、平城京遷都の際に飛鳥坐神社を遷座、瑜伽神社として斎祀ったものと伝わります。この丘陵を「平城の飛鳥山」と称したと伝わります。その瑜伽神社は同じ丘陵内、西方100m足らずに鎮座。当社はこの地に少彦名命を祀ったのを創祀としています。
◎菅公を合祀し、現在のような姿になったのは承歴二年(1078年)の白河天皇の御宇と伝わります。社頭案内は菅公を「御霊信仰の主神」であるとしていますが。
その後は元興寺や興福寺大乗院の鎮守として機能したとされています。古文献等には「手間天神」の他「天満天神」などとも記されます。
◎瑜伽神社が飛鳥坐神社を遷座させたというのはおそらく誤伝で、どうやら本来は当社境内に鎮座していた稲荷小祠が荒廃していたのを、江戸中期に遷し祀ったようです(詳しくは → 瑜伽神社の記事にて)。
瑜伽神社はおそらく廃絶していたと思われ、そうすると当社こそが「ならまち」全体の鎮守社であったようにも思われます。









長きに渡り「ならまち」を見守ってきたのだろうと思います。

以下、境内社を。

秋葉社

稲荷社

柿本社

住吉社