◆ 「二上山」慕情 
【 ~10 「二上山」の神々】




えっと…

大事なことを一つ飛ばしてしまっていて…

前回の記事では【王族の魂と「二上山」 (1)】として、飛鳥時代(聖徳太子の頃)まで話を進めたものの…

ちょっと逆戻り。



ま…独りで勝手に盛り上がっている
大して人気もなさそうなテーマなので…

いいかな?…と。

もしこのテーマを楽しみにご覧頂いている方がおられましたらごめんなさい!

O型男子のやることなんてこんなもん
…とお許し頂けましたらさいわいです。


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「二上山」には以下の3社が鎮まります(式内社のみ、式外社を除く)。


「雄岳」山頂に葛木二上神社、北東麓に葛木倭文坐天羽雷命神社、東麓に當麻山口神社が鎮座します。いずれも創建年代不詳。由緒もはっきりとはしていません。



◎まずは葛木二上神社(「雄岳」山頂)。

神名帳においては式内大社、二座。
ご祭神は豊布都御霊神・大國魂神。

豊布都御霊神は布都御魂神のこととされ、神武東征時に熊野の毒気にやられ瀕死寸前のピンチを救った、武甕槌命が降ろしたという神剣「布都御魂剣」に宿る神。大國魂神は大國主命のこととされています。

創建由緒はまったくもって不明。本来は「二上山」の「雄岳」「雌岳」に鎮まる男神・女神をそれぞれ祀ったのではないかと考えています。

そうするとなおさら創祀創建年代は分からなくなりますが、「信仰」という観点からみれば太古よりなされていたということが窺えます。

「二上山」の神霊を祀る社であり、式内大社に列格。少なくとも神名帳が編纂された時代、10世紀初頭にはそれだけの格のある神だとみなされていたということになろうかと。



当社は3社が1つになっています。
「倭文神社」「二上神社」「掃守神社」の3社。

倭文神社(しどりじんじゃ)は「全国の倭文神社の根本社」と謳っています。当社のみが式内大社。

倭文氏は「倭文(倭文織、文布とも)」という古代の機織技術を全国に伝えたという氏族。始祖 倭文神であるという天羽槌雄命(天羽雷命)を奉戴しています。

最後までヤマト王権にまつろわなかった星神香香背男命(ホシノカガセオノミコト)を誅した神として、武神としての神格も備えており、謎に満ちた神。

天日鷲翔矢命(アメノヒワシカケルヤノミコト)の御子とされ忌部氏系とみられる一方で、物部氏系であるとも。また機織というところから秦氏も関わっているという推測も成り立ちます。興味の尽きない氏族。

なお当社東側に「畑」という地名が残っており、居住地であったと考えられます。


二上神社は葛木二上神社の里宮と考えられています。「二上山」への登拝道はいくつもありますが、正式な参道は当社の横からということになるのだろうと。


掃守神社(かもりじんじゃ)は掃守氏(加守氏・蟹守氏)が奉戴した社。

豊玉姫がウガヤフキアエズ神を産む際に、海辺に産屋を建てて天忍人神が箒で蟹(胎便)を払ったという神話がありますが…その天忍人神の後裔。やがて皇室全体の清掃などの業務に携わっています。

いろいろ説はありますが、「祓え」に関わる氏族ではないかと考えています。


この3社が一つになった時期は不明。
当社側としては「この氏族(掃守氏)は機織りと共に全国に散在しています」と。

和泉国には「掃守郷」がかつて存在し、兵主神社(未参拝)が一族が奉斎した社であろうとされます。他に河内国や阿波国、淡路国にも見られます。もちろん京の都 山城国にも。

当社が言う掃守氏と機織りの関係は不明。「共に全国に散在…」しているとは思えないのですが。これも秦氏が絡むのでしょうか?





◎最後に當麻山口神社

大和国十四所山口社の一。「山口社」とは、皇居など舎殿造営のための用材を伐り出す山に坐す神霊を祀る社のこと。通常「山の口」に鎮座しており、当社ももれなく該当します。

「二上山」を御神体とし、ここから用材が伐り出されたということ。「二上山」は古代より利用される山であったのでしょう。

各々の創建時期は不明ながらも、飛鳥の都を中心に選定されていると見受けられることから、その時代であろうと推されます。

当社は式内大社ですが、境内社 當麻都比古神社も式内小社として鎮座します。ご祭神は當麻都比古神(麻呂子皇子)と當麻都姫。

麻呂子皇子は聖徳太子の異母弟。丹後の鬼退治であちらこちらで登場しますが、征新羅将軍ともなっており武闘派(聖徳太子も意外と武闘派ですが…)。

聖徳太子の母である穴穂部間人皇女が、宗教戦争を避けて丹後へ避難したことからの丹後繋がり。當麻を拠点としていたことから當麻皇子とも称されます。「二上山」東麓には後裔たちの古墳がひしめいています。

當麻都姫とは夫婦であるとすると舎人皇女かと。神名帳では一座であり、本来は當麻都比古神一座かと思われます。

この當麻都比古神社は、往古は當麻寺の境内にあったとされます。その當麻寺は元々河内国石川郡山田郷にあったとのこと。比定地は不明ながら「王陵の谷」周辺からもう少し西側麓であろうと思われます。


當麻山口神社の二の鳥居