春日神社 (善根寺春日神社)(神武東征 孔舎衛坂 古戦場)


河内国河内郡
大阪府東大阪市善根寺町6-7-67
(二の鳥居にP有り)

■旧社格
村社

■祭神
武甕槌命
経津主命
天児屋根命
比売神


「生駒山」西側麓、東大阪市の狭小住宅密集地の最高所付近に鎮座する社。正式社名は「春日神社」、通称は「善根寺春日神社」。
◎「神武東征 孔舎衛坂(くさのへのさか) 古戦場」推定地であり、境内に磐座が座し、「日本最初春日神社」の扁額が掲げられ、境内で酒造りが行われるなど、興味の尽きない社。
◎【神武東征 孔舎衛坂 古戦場】
大和入りを目指し、「難波の碕」から「草香江」の潟湖(ラグーン)を進み、「白肩津」にて上陸した東征軍。眼前に聳える「生駒山」を越えようとするものの、大和最強の長髄彦軍が立ちはだかり敗戦に。その伝承地がこちら。大激戦であったと想像され、「生駒山」一帯で戦いが繰り広げられたものと想像されます。境内には石碑が建てられています。当社創建に繋がるものかどうかは分からないようです。
◎【磐座】
境内に幅3~4m程度の巨石が据えられています。注連縄が掛けられ、玉垣で囲われており、「磐座」として祀っているものと解してよいかと。ご本殿とは少々離れており、御神体ではないように思われます。
またご本殿の背後は露出岩盤。ご本殿が塀で囲われているため御神体であるかどうか等の詳細は不明。さらにご本殿脇にも小規模な岩が積まれているように見受けられます。
他に境内には遥々宮崎県から昭和に運ばれて来た「おきよ石」というものがあるようです(拝観は要予約とのこと)
◎【「日本最初春日神社」の扁額】
当社創建については社伝では以下の通り。神護景雲二年(768年)に枚岡明神から分霊し大和の春日へ遷座されましたが、その時の奉仕者も大和へ移住。後にうち25名(二十五人衆)が河内へ帰郷し善根寺の傍らに住んだ時に春日大社から春日四神を勧請したというもの。遡られる最古のものは、長久四年(1043年)の石灯籠銘。
「日本最初春日神社」扁額は春日大社から初めて勧請がなされた社であるからとのこと。正面ではなく横に掲げられています。
明治五年には枚岡神社に合祀されたものの、同十四年に復社しています。
◎【境内で酒造り】
大阪府で唯一濁酒製造の免許を保有。山中にある湧水地「龍の口」で水を汲み、境内の造酒齊殿で醸造されているようです。現在も枚岡神社へ届けているとのこと。
神事は「王代津祭(おだいつまつり)」と称され、神武天皇事績に由来するもの(案内板を写した下部写真参照)


一の鳥居

二の鳥居

歴史を感じさせる美しい参道。

20年ほど前に参拝した際は宮司が、「生駒山」は饒速日命が鎮まる神聖な山であり、山上遊園地などもっての外、だから近鉄は…と話されていたことを鮮明に覚えています。

15年前ほどは奈良県北部に住んでいたため、よく参拝していたお社。今回久しぶりに。




磐座らしきもの。


慶応元年(1868年)製の狛犬。





磐座の横には鹿。

「造酒齊殿」




二の鳥居付近から「生駒山」方面を。