六神社 (京丹後市網野町)


丹後国竹野郡
京都府京丹後市網野町下岡小字宮ノ越1160
(P有)

■旧社格
村社

■祭神
天児屋根命
浦島太郎
島子ノ神
島垂根命
伊満太三郎
綿積乙女命


網野町市街地から南西外れの山裾、かつての「下岡村」に鎮座する社。
◎「浦島太郎伝説」のモデルとなった「島子ノ神」を祀る社。網野町内には嶋児神社網野神社で祀られる他、島子ノ神(水江浦嶋児)の生誕伝承地、乙姫を祀るという西浦福島神社など、伝承が色濃く地。
◎当社も「島子ノ神(水江浦嶋児)との」何らかの関わりがあるのでしょうが、その内容までは伝わっていないようです。創建年代、由緒等いずれも不明。
◎浦嶋子は日下部首の後裔。遠祖は猿田彦大神でありその直系は宇治土公氏(ウジトコノウジ)。祖神を日神と崇め、その「日の下」の氏族という意味かと。日下部氏は各地に散らばっていますが、これは産鉄鍛冶氏族であり、鉱山を求めていったものと思われます。
したがって当地においては、嶋児あるいはその裔が鉄を求めて住み着いていたのではないかという想像も。
◎ご祭神については天児屋根命を除く五柱が留意されるところ。これについて「丹哥府志」は、浦島社(宇良神社)の記述で以下のように記しています。「五社を合せ祭る(俗に浦島太郎 曾布谷次郎 伊満太三郎 島子 亀姫の五人なりと云ふ)」と。また「丹波国与謝郡筒川の庄日置里に浦島太郎といふものあり 月読尊の苗裔なり 故を以てこれを長者とし国事をしるさしむ 其弟を曾布谷次郎といふ 次を今田の三郎といふ 浦島曾布谷今田は地名なり 太郎次郎三郎は伯叔の次なり 太郎は履仲天皇反正天皇に二代に仕ふ 次郎は允恭天皇に仕ふ 三郎は安康天皇に仕へて武術の聞えあり 安康天皇即位四年眉輪王帝を弑する時三郎これを防戦す 其功すくなからず(国史に日下部使臣其子吾田彦億計弘計の二皇孫を奉じて難を丹波與佐に避るといふ恐らくは此人ならん)」とも。
◎これを取るなら長男は太郎、次男は次郎、三男は三郎であると。そして太郎は島子となり、亀姫は島子が助け竜宮城へ案内した亀のこと。
当社の島垂根命は曾布谷次郎、綿積乙女命は亀姫のことであると。つまり六柱中の五柱が同神であるということに。
◎社名の通りに六柱を祀りますが、このような社名の場合は国府などの近辺に設けられた「録所」からの転訛とする説も。遠江国には「六所神社」が多数鎮座します。当社もかつては「六社大明神」と称される時代もあることから、これに端を発する可能性も。
◎当社裏には「椎木谷古墳」という5世紀代の古墳があるようです(現地未確認)。奉斎氏族との関連が考えられます。





見事な彫刻が施されています。

苔蒸した境内は、ほどよくひなびて趣ある風情に。