☆浦嶋子生誕地・釣溜(つんだめ)


丹後国竹野郡
京都府京丹後市網野町浅茂川

※ともに詳細住所不明
※「釣溜」は嶋子神社の隣、「浦嶋子」生誕地は徒歩5分ほど(アクセスは下の絵地図を参照)


浦嶋子(浦島太郎)にまつわる史跡が網野町「浅茂川」にいくつかあります。当記事ではうち二つ「生誕地」と「釣溜(つんだめ)」を。

海辺の突端には嶋児神社が鎮座。また浦嶋子が乙姫(亀比売)に出会ったところとされる西浦福島神社が鎮座。その近くに当史跡二箇所があります。

網野神社においては嶋子が「福島に置かれていた」としています(網野神社公式HPより)。これは子宝に恵まれない嶋子の父母が神に祈ると、翌朝「福島に来るように」との神託があり、その通りに行ってみると置かれていたという神話。

実際の出生地はここであり、神話化されて「置かれていた」などという表現になったのかもしれません。

「浅茂川」という地名は江戸時代辺りからのものであるらしく、それまでの当地は「西浦」であったとか。
「福島」はピンポイントで西浦福島神社が鎮座するとされている小島かと思います(社殿や鳥居等一切無し)。

またそこで乙姫(亀比売)と出会ったとされています。

やはり石碑の立っている辺りが生家だったのかもしれません。現在の様子も古いお家が建ち並んでいます。道路は舗装されているものの、大して変わっていないように感じるのは、こちらのお家に対して失礼でしょうか。

一方「釣溜」は嶋児神社のすぐ隣。案内板(下部写真)通りに、いわゆる「生け簀(いけす)」だったのであろうかと。
現地を見る限り本当にそうだったような気にさせる造形。嶋児神社へ参拝するのは三度目ですが、「釣溜」を見るのは初めて、少々興奮気味に覗いてみました。

これで浦嶋子ゆかりの地は、知りうる限りあと少しを残すのみで粗方訪れました。
日下部氏、宇治土公氏の痕跡をもっと追い、猿田彦大神の謎を探る手掛かりの一つとしたいと考えています。


こちらが「釣溜」。こういうのも柱状摂理というのでしょうか、上古より霊地の一つだった可能性もありそうに思います。