佐々神社


伊賀国阿拜郡
三重県伊賀市音羽618
(一の鳥居前に駐車スペース有)

■延喜式神名帳
佐々神社の比定社

■旧社格
村社

■祭神
八重事代主命
[合祀] 須佐之男命 倉稲魂命 金山彦命 大山祇命 


伊賀市の北西部の丘陵地、「音羽(おとわ)」に鎮座する社。人口200人足らずの過疎地、当社近辺も民家は見当たりません。
◎かつては当地より5kmほど北西の「笹ヶ嶽(篠ヶ嶽)」(標高738m)に鎮座していたと伝わります。「伊山故事考」「伊賀古代氏族考」という書には、文禄年間(1593~1596年)に当地へ遷座されたとあるようです。時代から考えて兵火による焼失かと。
◎「笹ヶ嶽」の山頂は近江国甲賀郡に属することから、旧社地というのは山頂付近ではなく、また東側山中であったと思われます。旧社地についての情報は無し。神名帳では伊賀国阿拜郡の条に記載されています。
◎創建由緒等は不明。持統天皇三年(692年)「封田廿九束奉る」とあり、この時には既に創建済み。また貞観十五年(873年)には従五位上の神階を授かっており、これは当時、伊賀国一ノ宮の敢國神社と同格。往古よりの大社であったことが窺えます。
◎ご祭神については「伊水温故」が八重事代主命としており、当社側もこれを採用。ただしこの書は少々難有り。
◎一方で「神祇志料」は「阿部朝臣同祖佐々貴祖神」としています。「新撰姓氏録」には「左京 皇別 佐々貴山君阿部朝臣同祖」、「摂津 皇別 佐々貴山君阿部朝臣同祖 大彦命之後也」とあります。
大彦命は四道将軍として崇神天皇十年に各地へ派遣されたうちの一。越国など北陸へ向かっていますが、伊賀国の同じ阿拜郡内に築かれた御墓山古墳の被葬者とする説が有力。伊賀国に縁の深い人物。「阿拜郡」は「阿部氏」から転訛したとも。また後裔に伊賀臣もいます。「神祇志料」の言う祖神とは大彦命かと思われます。「三重県神社誌」も大彦命としています。
◎これらとは別に甲賀郡の神山神社(未参拝)のご祭神と同神とする説も。こちらは「笹ヶ嶽」より勧請されたとしており、それが当社旧社地からのものと考えられます。そちらの地名や社名「神山」とは「笹ヶ嶽」のこと。その神山神社は素盞鳴尊をご祭神としていますが、牛頭天王社などと称されていた時期もあり、原初は別の神を祀っていたものかと思われます。
◎他にも「笹ヶ嶽」の山の神霊を招魂したという伝承もあるようですが、概ね八重事代主神或いは大彦命のいずれかであろうと考えます。御墓山古墳からは7~8kmほど離れてはいるものの、地形を見る限り「笹ヶ嶽」の山容は望めそうに思います(現地未確認)。「笹ヶ嶽」こそが大彦命の鎮まる霊峰と捉えられていたのでしょうか。


車はこのように。道路の反対側も同様に2~3台ほど停め置き可。

境内はとても美しく維持管理なされていますが、殺風景に感じるのはやはり過疎化の影響なのかもしれません。






かつての磐座らしきものが座します。


境内に無造作に落ちていたのですが…祭祀具の平瓮ではないか?しかも見たところ古代のものではないか?と。