☆ 「與喜山」山中 「東ののぞき」(推定地)
「東ののぞき」という呼称については、寛永十五年(1638年)の「長谷寺境内図」という古書に記されているとのこと。
別に「北ののぞき」という磐座群があるとのことで、こちらは藤本浩一氏の「磐座紀行」内の「長谷寺と天神山」の項に記される「四の磐座」とも。
藤本浩一氏が紹介しているのは、「一の磐座」から「四の磐座」までのようで、こちらの磐座群については紹介されていないようです。
「のぞき」という呼称から、おそらくは眺望が開けた場所であったのだろうと思われますが、現在は樹叢に覆われ見通しはまったく無し。