◎登拝 憧憬の「與喜山」へいざ!
(令和三年 5/31)
あの「與喜山」に
あの憧れの「與喜山」に
遂に!遂に!登拝しました。
大和では「三輪山」「高天山(金剛山)」「大和葛城山」に次ぐ霊峰かと思います。
(小山を除いて)
標高は455m。
原生林が生い茂り、暖帯林は国の天然記念物となっています。
正式名は「天神山」なのかな?
それではこの山の本来の意味が失われる~!
また「大泊瀬山」とも。
これこそが古代の本来の呼び名かと。
これで通したいな~とも思うが
便宜上「與喜山」で通します。
大和でもっとも早く朝日が昇る地。
「三輪山」と「二上山」とを結ぶ「太陽の道(レイライン)」上。
山頂辺りに式内社 堝倉神社が鎮座していました。
(鳥居は與喜天満神社のもの、向かってやや左上が「與喜山」山頂)
今回の登拝記事もこれまでと同様、
各所の詳細は別記事にて上げ、こちらではアクセスを含めて「登拝譚」のみに終始します。
かなりカジュアルな記事になります。
今回登拝に至ったのは
いつもお世話になっている偏愛的奈良さん の情報から。
「與喜山」には磐座が存在しないと思っていました。
ネット情報で存在しないと認識。
また子供の頃からよく山で遊び回っていたという、参道の草餅屋さんの情報で「記憶にないな~」と。
ところが磐座が存在することを偏愛的奈良さんに教えて頂き、また遺跡の宝庫であることを知りました。
覚悟を決めて登拝へ。
「覚悟」が必要なのです…。
もちろん「登山」が目的ではなく
磐座等の「登拝」が目的。
登山道は別にあるようですが
道無き道を!獣道を!延々と登る覚悟が…。
こちらのご祭神は菅原道真公。
これは長谷寺などという仏教施設がこの霊地を横領した際に、菅公を勝手に祀り大倉比賣を追い出したことによるもの。
與喜天満神社の社地は、山頂に鎮まる式内社 堝倉神社の遥拝所的なものだったのかもしれません。
既にここまで登ってくるのに息切れてるし。
300段ほどはあるやろな…。
一の鳥居からはおよそ10分。
裏参道を下ります。
いきなりこれか(笑)
確かに誰か登った跡はあるが…
道ではないな(笑)
赤いテープを目印に進みます。
とてもとてもありがたいものなのですが…
ちょっと少ないな…と。
なかなか見付からず…
仕方無しに進んだところにあった!…という感じ。
お!遂に!
撮ったど~~~!(そんな番組があるらしい)
こちらが「重岩(二の磐座)」というものらしい。
詳細写真は後ほど記事を上げます。
ここまで登拝道起点から30分ほど。
ここで撮影中にクマバチに襲撃される。
磐座前だけ平らだったので逃げ回る。
平らでなかったら
間違いなく滑落するところやがな…。
あ!写真で見た分岐点。
山頂へは真っ直ぐ。
「北の谷」方面へは左手へ。
優先するは真っ直ぐ。
大倉比賣を拝さねば!
ここまで45分ほど。
ん?
三角点?
いや…山頂はまだ先やろ?
山頂だ!
どうやらこの辺りに
式内社 堝倉神社が鎮座していたのだ!
崖の斜面に一体の磐座らしきものがあるとのこと。探すも見つけられず。
それでもいいのです。
この辺りだということだけで。
大倉比賣を丁重に拝しました。
久しぶりに祓祝詞と神拝詞とを奏上。
比賣の神霊がこの辺に鎮まっているという、その事実だけで。
まさかね…
こんなところまで来られるとは夢にも…。
クマバチに追い回され
ちゃんと拝することができなかった「二の磐座(重岩)」へ。
恐る恐る~
クマバチ君はどっかに行ったかな?
ゆっくりと丁重に拝しました。
無事に下山!
もうコリゴリだ~!
あちこち擦り傷だらけやし。
滑落してお尻をドンって打ったし
木に掴まり辛うじて止まった時に肘を捻ったし
痛みが走る…。
この後、昨年創建された堝倉神社等々
麓のお社を巡拝。
さすがに白髭神社の石段を登る気力は無し。
「北ののぞき」へはまた今度。
今年の晩秋くらいに何とか!
《長文にも関わらず最後までお読み頂きましてありがとうございました》