☆ マルコ山古墳



大和国高市郡
奈良県高市郡明日香村大字真弓
(P無し、南側にかなり広い道が最近完成、まだほとんど車通りが無いため停め置きました)


■形状
六角形墳とするのが有力
■全長
約24m
■築造時期
7世紀末~8世紀初頭(古墳時代終末期)
■埋葬施設
横口式石槨
■出土品
漆塗木棺破片、金銅製六花形棺飾金具、玉類
30歳代の男性人骨
■周辺の状況
牽牛子塚古墳や真弓鑵子塚古墳(未見学)、束明神古墳など終末期古墳が集中する地

■被葬者
川島皇子とする説有り



たぶん20年近く前だったか…
一度見学しようと試みたことがあります。

当時は現在のようなアプローチがあるわけでもなく、案内板もなく、発見できずに早々に断念しました。

近年の調査で「六角形墳」という墳形の可能性が高まり、皇族の墳墓であることが確実となりました。

築造時期、人骨の推定年齢、下部に載せる万葉歌から川島皇子以外にいない!という説が出されているようです。

川島皇子は天智天皇の第2皇子。
天武天皇の娘、泊瀬部皇女を妃としています。他に妃は無し。



夫婦を巡る万葉歌が残されています。

【柿本人麻呂が泊瀬部皇女と忍坂部皇子にさしあげた歌】

飛ぶ鳥の 明日香の川の 上つ瀬に 生ふる玉藻は 下つ瀬に 流れ触らばふ 玉藻なす か寄りかく寄り 靡かひし 夫の命(みこと)の たたなづく 柔膚すらを 剣大刀 身に添へ寝ねば ぬばたまの 夜床も荒るらむ そこ故に 慰めかねて けだしくも 逢ふやと思ひて 玉垂れの 越智の大野の 朝露に 玉裳はひづち 夕霧に 衣は濡れて 草枕 旅寝かもする 逢はぬ君ゆゑ 

《大意》
明日香の川上の玉藻が川下へ流れてもつれ逢うように、皇子の柔肌に触れて寝ることもなくなり、夜床は荒んでいるでしょう。心を慰めることができずに、もしかすれば逢えるかもと思い、越智の大野の朝露に裳裾は濡れ、また夕霧に衣を濡らしてまでも旅寝をなさるのか。逢えない貴方のために。


【反歌】

敷栲(しきたえ)の 袖かへし君 玉垂れの 越智野過ぎゆく またも逢はめやも

《大意》
袖を交わして添い寝した貴方は、もう越智野を過ぎて行ってしまいました。もう逢うことはないでしょう。



この歌は、夫(川島皇子)が亡くなった悲しさにうちひしがれている泊瀬部皇女に対し、忍坂部皇子が贈ろうとした歌を、柿本人麻呂が代作したのではないかとされます。

忍坂部皇子は泊瀬部皇女の兄。

「越智野」については、現在に残る地名「越智」とするなら、西方1kmほど。

このように考えると、当古墳が川島皇子のものであるとするのは十分に納得できるもの。

ただし…
周辺はほとんど未開の地。
古墳として認定されているのはごく僅かだと思っています。

したがって、今後開発が進むにつれ別の場所で発見されるかもしれません。

星野リゾートも進出するなどと言われ、山をガシガシ削っています。既にいくつかの古墳は破壊されたのでしょう…。


古墳は集落内に。