☆ 吉野離宮跡



大和国吉野郡
奈良県吉野郡東吉野村大字小968
(丹生川上神社 中社の境内、P有)



丹生川上神社 中社の境内に設けられた「吉野離宮跡」の石碑。

候補地の一つとしてかつては考えられていました。丹生川上神社 中社の研究で知られる森口奈良吉翁を中心に唱えられていたもの。

ところが現在は発掘調査の成果から、「宮瀧遺跡」が確実なものとされています。

史上に表されるのは、紀の応神天皇即位十九年の段。「吉野宮に幸す」とあり、既に存在していたとされます。

その後は雄略天皇の行幸があったもののおそらく老朽化、斉明天皇の御宇に造営されたと記されます。

天武天皇の「壬申の乱」はこちらから始まりました。出家して隠棲生活をしていると見せかけての挙兵。

即位後はすぐに丹生川上神社の創建。
そして皇太子を菟野皇女(持統天皇)との間の草壁皇子とすることを誓わせる、「吉野の盟約」の舞台となったのもこちら。

持統天皇に至っては三十余回にも及ぶ行幸を重ねました。

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