大多羅乳女神社


紀伊国那賀郡
和歌山県紀の川市貴志川町丸栖641
(境内に駐車可、向かいの保育園のPが近接するがそちらには停めないように)

■旧社格
村社

■祭神
伊邪那美命
市杵島姫命


「紀ノ川」に「貴志川」が合流する手前の、大きく湾曲してできた低湿地帯、「貴志川町丸栖」に鎮座する社。旧「丸栖邑」の中心部に位置し、神域は550坪。当地の氏神であったと推されます。
◎創建由緒等は伝わっていないようです。和歌山県神社庁は、「神社関係史にはその昔聖徳太子が物部守屋を攻め滅ぼした時に戦勝の祈願をされたとの記述もある」といった情報を掲載しています。こういった伝承は各地に見受けられ信憑性が乏しいため、このような表記になったものかと。
◎和歌山県神社庁はさらに、「境内地の森はその昔『神山』と称され何人も入ることがなかったとある」と。この伝承からも当地が古くから特別視されていた、いわゆる霊地とみなされていたことが分かります。
◎「紀伊国名所図絵」においては、南隣町「調月(つかつき)」の大歳神社(後ほど記事UPします)の大歳神とは夫婦神であるとしています。仮にそうであるとするなら、伊怒比売(イノヒメ)もしくは天知加流美豆比売(アメノチカルミズヒメ)のいずかれになるのだろうと思います。ところが両姫の伝承は当地に見当たりません。隣同士の村で女性神と男性神を祀ることから産み出された附会かと思います。
◎「大多羅乳女」については惟みる必要があるかと考えます。全国各地に「大多羅大明神」が祀られますが、佐田大神(猿田彦大神)、大国主命とする事例が多いように思います。また主祭神ではないもののイザナミ神を祀る社もいくつか。さらに神功皇后との関連も多く見られます。
伏見稲荷大社の下社摂社 最北座の田中神は「田の神」或いは地主神とされますが、諸説あり、猿田彦大神や大己貴命、大多羅之女郎子とするものも。上記の「大多羅大明神」と称される社には「田中社」というのがいくつか見られるため、これは関連があるのではないかという想定もできます。
◎「多羅」に関しては古代朝鮮半島の任那国を構成する一、「多羅国」との関連も考えられます。現在は倭人が半島に渡り作った国であるとする説が有力。任那国滅亡とともに日本に戻っています。この時倭人が渡って作った国であるという認識が、既に忘れ去られていたのかどうかは不明。
◎柳田國男が残した功績の一つとして上げられる巨人伝承「ダイダラボッチ」。これは巨人が国造りを行ったというものですが、異国から訪れた巨人という伝承が多く見られます。また「大多羅大明神」、或いは単に「多羅」の関わる地がいくつか見られます。
これは偶然では済まされないものと考えています。そして当地にも「ダイダラボッチ」伝承があったのではないか、神功皇后伝承があったのではないかという可能性を感じています。