魚海神社
(うおみじんじゃ)


伊勢国多気郡
三重県松阪市川島町183
(境内東側の路肩に駐車可)

■延喜式神名帳
魚海神社 二座 の論社

■旧社格
村社

■祭神
豊玉姫命
豊玉彦尊
月読荒魂尊
天之忍穂耳尊
須佐男尊



「櫛田川」の河口近く、東岸畔の田の中にひっそりと鎮座する社。
◎創建時期は不明。社伝によると、倭姫命が「櫛田川」を下り巡幸していた際、御船に魚が自然と集まり飛び込んで来たのを大いに喜び創祀したとしています。それは伊勢の地に天照大神の御魂が鎮まる三年八ヶ月前であると。
これは「倭姫命世記」に記される内容と合致するもの。ところが同じ内容の社伝を有するのが、南600~700mほどに鎮座する魚見神社。式内社 魚海神社の比定に関しても同様、ともに論社に挙げられています。
◎「倭姫命世記」に著される創祀説話、式内社の比定に関して、いずれも乏しい手元資料では思索できないのが現状。ネット上においては、宝徳三年(1451年)の「機殿御神事日記」という書に、「魚見潮積社(うおみしおつめのやしろ)」と「魚見社(うおみのやしろ)」の二社が記されているため、当社が「魚見潮積社」に該当、魚見神社が「魚見社」に該当するとあります。したがって、「倭姫命世記」に著され、かつ式内社である魚海神社は魚見神社というもの。
◎その書自体の詳細もままならず、確認しようも無いところ。二社も存在するのは「潮積」という何らかの目的があったためか、或いは「櫛田川」の洪水で社殿が流されたりしたのか、あくまでも推測上のこと。
◎ご祭神については豊玉彦尊を、彦火出見尊に宛てており、豊玉姫命はその后としています。豊玉彦尊を彦火出見尊と同神とすることについては、紀の中でも一書により同神、別神と両通り記されており意見の別れるところ。豊玉姫命は一般的に豊玉彦尊の娘とされており、何らかの錯誤があったのでしょうか。
神名帳においては二座であり、父娘神が該当しそうです。月読荒魂尊については、「天武天皇御神記により七年十一月十一日月読荒魂尊を魚海神社に奉遷合祀された(伊勢二所皇大神鎮座伝記神記)」と社頭案内にはあります。創祀は倭姫命の時代として創建は天武天皇の時代でしょうか。天之忍穂耳尊と須佐男尊は明治の合祀令によるもの、大山津見尊は「山の神」としているため村内で祀られていたものを境内に合祀したものと思われます。
なお当社も明治末期に六根町の大國玉神社に合祀され、昭和に復社しています。








一部判別できないものの、「倭姫命世記」に記される内容かと思います。