意非多神社 (松阪市朝田町)
(おひたじんじゃ)


伊勢国飯野郡
三重県松阪市朝田町
(詳細住所不明、「朝田町北」交差点から東へ30mほど) (駐車は下部写真参照)

■延喜式神名帳
意非多神社の論社

■祭神
天御中主神
国狭槌神


「櫛田川」の西岸、河口近くに鎮座する社。
◎式内社 意非多神社を巡っては、西黒部町の意非多神社(未参拝)が比定社であり、当社は論社に宛てられています。
西黒部町の意非多神社の旧社地は坤(南西)五六町(500~600m余り)の「大板」という地であるとのこと。「大板」と「意非多(おいた)」が通じることからの比定。
◎社伝によると和銅年間(708~715年)に神八位耳命の後裔の多姓の人が「大板の里」を開拓し祖神を奉斎したしています。遷座は平安末期の大洪水で社殿の流失によるもの。
そちらの社から見て当社は南西2kmほど。つまり現在の両社の間に旧社地があったということになろうかと思います。
◎創建は大宝年間(701~704年)、由緒は伝わっていません。当地はかつて「土ノ宮」「天王塚」「長田ノ杜」などと称されていたようです。境内には現在も「土宮」と石標が立ち、奉斎が続けられています。埴安神を祀るとされ、土団子を供えると疣が…などと後世には利己的になっていますが。「天王塚」とあるのは牛頭天王を祀るとされていた時代もあったのでしょうか。
◎明治の合祀令により近くの穴師神社に合祀。戦後に復社されたようです。


「朝田町北」交差点から東へ10m余りの所、境内横に沿って寄せて停め置きました。