笠山神社 (瘡山神社、甲賀市水口町)


近江国甲賀郡
滋賀県甲賀市水口町高山364
(境内に頭から突っ込みました、軽なら完全に入られると思います)

■祭神
大己貴命


「野洲川」支流の「杣川」西畔に営まれる小さな集落「水口町高山」内に鎮座する社。
◎社頭案内板を撮影した下部写真にもあるように、倭姫命が巡幸の途中に当地で休憩、笠を杉樹に懸けたことを始原としています。
◎「笠」と「瘡(かさ)」、どちらが先なのでしょうか。そもそも「笠」は単に被り物というだけでなく、呪術用具としての用途も兼ね備えていたと考えられています。顕現した神霊が笠を外して木に掛けるという説話も多く見られます。やはり倭姫命の「笠」の説話が先で、それに「瘡」へと転じたのでしょうか。
◎当社は元伊勢「甲可日雲宮」の候補地の一つとして名を連ねています。伊賀国「敢都美恵宮」の次に遷された地で、四年間留まったと「倭姫命世記」にあります。ただし「皇大神宮儀式帳」には記載がありません。候補地は多く挙げられており、以下の通り。
・大神宮社(三上六所神社に合祀)(甲賀市土山町鮎河)
・川田神社(甲賀市土山町頓宮)
・甲可日雲宮(甲賀市土山町多羅尾)
・田村神社(甲賀市土山町北土山)
・皇大神宮(若宮神社 境内社)(甲賀市土山町大河原)
・神明神社(甲賀市水口町神明)
・日雲宮(甲賀市水口町神明)
・高宮神社(信楽町多羅尾)
・神明宮(上乗寺境内)(湖南市三雲)
◎かねてより「元伊勢」を含めた、倭姫命が辿った地については、採鉱地であった、或いは磐座などが座す太古からの霊地を追い求めていた考えています。当地背後の山を「平石山」と称しており、磐座等が座しているのかもしれません(現地未確認)。また北隣村は「水口町岩坂」、これは「磐境」からの転訛とも考えられそうです。




初代は樹齢600年とのこと。倭姫命が笠を懸けたのが史実とすれば、千数百年前のこと。初代ではなく既に何代目かということになりますが…。