(増御子神社)



大和神社 境内社 (祖霊社・増御子神社 他)


大和国山邊郡
奈良県天理市新泉町星山306 (大和神社境内)
(P有)

■祭神
[祖霊社] 国津神珍彦命 市磯長尾市命 大和宿祢長岡命 大和神道御御霊之社氏子祖霊 戦艦大和第二艦隊戦没英霊等
[増御子神社] 猿田彦命 天鈿女命
[朝日神社] 朝日豊明神


大和神社境内社のうち三社紹介しておきます。先ずは祖霊社より。当社の重要性があまり周知されていないと感じるため冒頭に据えます。

◎祖霊社
祖霊社らしく少し奥まったところ、授与所の背後に鎮座します。珍彦命(ウズヒコノミコト)と市磯長尾市命(イチシノナガオチノミコト)が祀られることが当社の特記事項。
珍彦命は神武東征に従い、兄磯城(エシキ)征討の大功により倭国造になっています。「速吸門(はやすいのと)(豊後の「佐賀関」、吉備、明石海峡など推定地は多数有り)で出会った海神。椎根津彦、倭宿禰という表記も。籠神社境内には亀に乗った倭宿禰像が据えられています。
その後裔が市磯長尾市命、大和神社の初代神主。崇神天皇の御宇、日本大國魂神と天照大神の同床共殿が疫病など国家の危機を招いたとして、二神は切り離されます。日本大國魂神を奉る重責を背負ったのがこの市磯長尾市命。
「戦艦大和」は大和神社の分霊を伴い出航しましたが、戦没英霊が当社にも鎮められています。

◎増御子神社
大和神社の真っ直ぐ伸びる参道の終わる手前、二の鳥居脇に鎮座。
かつては「成願寺村」(大和神社が鎮座する新泉町の南東隣村)に鎮座していたが、現社地に遷座されたという説も。往古はそれら周辺の村も大和神社の神域であったと思われ、境内縮小に合わせて遷座されたと思われます。
猿田彦命と天鈿女命の二座が祀られますが、道祖神としての役割を担った社だった可能性も。市磯長尾市命を合わせて三座であったという説もあります。

◎朝日神社
高龗神社の隣に鎮座。事代主神社と厳島神社と小祠が三殿並びます。
ご祭神の朝日豊明神は天照坐皇大祖のこと。つまり天照皇大神。かつては「佐保庄」(大和神社が鎮座する新泉町の北東隣村)に鎮座していたとのこと。元々の大和神社の神域内であろうと思われます。
相反する天照皇大神との同床共殿を回避するために創建されたのが大和神社であり、境内社とは言え天照皇大神を祀るというのは本来なら異状なこと。疫病も収まり平和な時代が訪れたことによるものか、或いは本来は異なるご祭神だったのか。そもそもは太陽神を祀る社だったのかもしれません。


祖霊社


左殿(向かって右殿)が朝日神社。