土師神社
(はぜじんじゃ)


伊勢国河曲郡
三重県鈴鹿市土師町558
(P無し、駐車は下部写真参照)

■延喜式神名帳
土師神社の比定社

■旧社格
村社

■祭神
天之菩卑能命

宇迦之御魂神 大山津見神 大国主神 品蛇和気命 猿田毘古命 天児屋根命 稚産霊命


伊勢湾から内陸1kmほど、「土師町(はぜちょう)」の古い集落内に鎮座する社。同じ集落内、200mほど西方に西土師神社が鎮座しています。
◎当社は明治七年に式内社 土師神社に比定されています。そして明治四十一年に西土師神社を合祀(昭和二十六年に復社)。ところが本来の式内社は西土師神社の方。おそらくは両社の間の多くの伝承が混同されていることと思います。以下、西土師神社が本来の式内社 土師神社と仮定して進めていきます。
◎創建由緒等は不明。「群書類従」の中の「神鳳鈔」に「土師御園外宮三石」とあります。また土師神社として「本邑ニ在ル圓南山福善寺ノ所傳ニモ 行基僧正奉レ勅建立シ 土師神社ヲ守護トシテ行基行基土器ヲ焼カシム 世俗ニ行基焼ト称ス 又往昔此村ニ土器ヲ造リ出シ太神宮ニ貢献セリ 故ニ土師太一ト号ス云々」と。
◎以上は当社の社頭案内に銘記されているもの。江戸時代頃には仏教色が強かったらしく、行基云々はその頃に創作された附会かと思います。ただしこの村において土師器が製作されたことはほぼ確実。また西土師神社の地域内から今日神宮で使用されている祭器土器に類似した土器片がしばしば出土しているとのこと。「土師御園外宮三石」という記述も重要。
これらのことが本来は西土師神社の方に該当するのであろうと考えています。
◎「勢陽五鈴遺響」という書には「大寳天神社」と記されているようです。これは宝永六年(1709年)の棟札に「大寳天宮」とあることによるものから。同時期の西土師神社は「八剣宮」と記されています。なお享和元年(1801年)当社棟札には「土師神社」となっているようです。
おそらくは江戸時代のどこかの時点で、当社が式内社 土師神社に取って変わり、土師氏末裔たちの氏神となったようです。
◎別の考えとして、式内社 土師神社は当社までを含めてご神域だったということもあるかと。式内社であれば200~300m程度のご神域は優に超えていた可能性があると思います。西土師神社は土師器製作に必要な「埴土」を祀る社として、当社は祖神を祀る社として、それぞれが同じ神域内に鎮座していたのかもしれません。



道を挟んで北隣の交差点角にゴミ集積場があり、その前に停めました(黒い車)。