☆ 光仁天皇 春日東陵


大和国添上郡
奈良市日笠町
(詳細住所不明、P有)



第49代光仁天皇の御陵。

光仁天皇と言えば、皇后 井上内親王が真っ先に浮かびます。

光仁天皇を呪詛したとして廃后、大和国宇智郡(現在の五條市)へ流罪に。そして幽閉先で御子 他戸親王とともに薨去しました(御霊神社 本宮の記事参照)。

ちなみに他戸親王は、光仁天皇に立后する前の子であり、皇太子となっていました。

強烈な祟り神となり、天皇を始め都を恐怖に陥れたと伝わります。

また第二皇子として、こちらも強烈な祟り神である早良親王(崇道天皇)もいます。

光仁天皇は晩年、井上内親王の祟りに怯えていたとされます。
真相は分かりかねるものの、恐らくは井上内親王はあらぬ罪を被せられたことでしょうし。

なお御陵は円丘、大きさは不明。

場所は奈良市東部郊外の山村地帯「日笠町」。写真の通りに水田にぽっかりと浮かぶような様。

当墓名は「春日東陵」ですが、父である志貴皇子(春日宮天皇として追尊)の御陵が「春日西陵」。わずか2kmほど離れているだけ。

またその間には太安萬侶墓も。

どうやら幽界の地として考えられていたのではないかと思ったりもしています。まだまだ知られざる古墳があったりもするのでしょうか。

光仁天皇は久しぶりに現れた、天智天皇の系統の天皇。壬申の乱に勝利して即位した天武天皇の系統が、それまで長らく続いていました。

元明天皇陵、元正天皇陵、聖武天皇陵、さらに光明皇后陵や基王陵墓といったところは平城京の北東、つまり鬼門の方角に築かれています。

これら天武天皇系統の御陵とは隔離させたのではないかと考えています。