社皇王神社


紀伊国伊都郡
和歌山県橋本市清水
(詳細住所不明、おそらく「清水227」と思われる)
(境内に駐車できるものの境界の縁石で底を擦りそうです)(ファミリーマートからのアクセスは下部写真参照)

■祭神
伊弉諾尊
伊弉冉尊
天照大神
熊野夫須毘命
尾船豊受姫神 尾船夫夫能智神 手置帆負神(「負」は刀の下に貝) 彦狭智神 


「紀ノ川」に架かる「橋本高野橋」の南西詰に鎮座する社。
◎「紀伊国続風土記」には、相賀荘中の大社であり、清水村の氏神であると。そして「里人相傳へて 市脇村三部明神の姉君といふ 三部明神の祭禮の時 神主并神子當社前に来たり 湯立し祝詞をあげて帰り 後三部明神の御輿渡御の事を取行ふを舊例とす」とあります。
◎「市脇村の三部明神」とは相賀大神社のこと。当社ご祭神はその姉君であり、当社まで御輿渡御が行われると。三部明神とは伊弉諾尊・伊弉冉尊・天照大神。これは当社が現在示しているご祭神と被るものであり、その姉君とはどういった神なのでしょうか。「紀伊国続風土記」には示されていません。
◎創建は社伝によると平城天皇の御宇、大同二年(807年)のこととされています。相賀大神社の創建は長承元年(1132年)とされているため、少なくともそれまでは「紀伊国続風土記」の言うように、「相賀荘中の大社」であったようです。
◎少々気になるのは手置帆負神が祀られていること。また豊受姫神と夫夫能智神(ククノチ神のことか)の前に、「尾船」(「屋船」のことか)と冠されています。忌部氏や紀氏の影がちらついています。
◎明治の合祀政策に背いたため、宮司不在の状態に。酒蔵主が密かに当社を守り続けられ、また地元有志から社殿寄贈があったようです。ひっそりとした佇まいながらも、存在感を示しているように感じるのは気のせいでしょうか。


ファミリーマート西横の道を50mほど北上した場所がこちら。ちょうど案内板の背後辺りにご本殿が鎮座します。