相賀大神社
(おうがだいじんじゃ)


紀伊国伊都郡
和歌山県橋本市市脇2-7-8
(境内に駐車可)

■祭神
天照皇大神
伊邪那岐命
伊邪那美命


現在の橋本市のおよそ西半分の領域を誇った、「相賀荘(おうがのしょう)」の総産土神。一町三十一村(二十九村とも)もあったとか。
◎創建時期は不明ながら、「相賀荘」が根来寺領となった鎌倉時代に、総鎮守として根来の三部権現を勧請して成立したものと考えられています。総社三部明神と称されていたことも。
「相賀荘」の成立は長承元年(1132年)のこと。高野山の覚鑁(カクバン)などという僧侶が寄進を受け経営を始めたとされます。
◎当地は「大和街道」(「紀ノ川」沿い、大和へ向かう街道)と「高野街道」が交錯する交通の要衝。関白藤原頼通(992~1074年)の「高野山参詣記」には、この宮の境内で「惣社の市」という市が開かれていたと記されるようです。地名「市脇」はこのことに由来するものと。
◎「高野山参詣記」は永承三年(1049年)に編まれた書。これに当社境内で市が開かれたと記されているのであれば、この時既に創建がなされていたということになり、覚鑁などという僧侶(1095~1144年)の創建説話は間違いであることに。察するに創建はやはり平安末期、覚鑁上人の時に根来寺から三部権現を勧請し祭神替えがなされたのではないかと。つまり原初のご祭神は異なるものであったと。
◎「高野山参詣記」に記されるように、当社はこの頃から既に「惣社」であったようです。ところがかつて「相賀荘」きっての大社であったのは社皇王神社。隆盛した当社に対してそちらは衰微していったようです。

*写真は2020年6月と2022年11月撮影のものとが混在しています。